dauny

アナと雪の女王のdaunyのネタバレレビュー・内容・結末

アナと雪の女王(2013年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

2を見て、久しぶりに見たくなって見た。こういう時にディスクを買っていると便利。2のディスクも早く欲しい。

ところで、アナと雪の女王における愛が何を指しているのかが、ずっとわからなかった。1に関しては、ディスクを所有しているので、誇張なくもう何十回も見た。一時期は朝起きてご飯を食べながら一回見て、見終わったらまたもう一度見て、夕方に見てから夜ご飯を食べながらまた見ていたりした。そのくらい見ていた。けれど、愛がわからなかった。(なんだか不倫でもされた時にしか言えなそうな台詞だ)

この度、なんとなしに英語音声の英語字幕で通してみることで、ようやく考えがまとまった。深く考えすぎて、作品で示唆されていたり、言及されていることを曲解してしまうことを努めて避けた。これがきっとよかったのだと思う。今までよりもスムーズに理解ができた。

さて、アナと雪の女王において愛が定義される箇所が少なくとも2度ある。(2度以上あるのかもしれないが、今の段階ではまだ見直せていないので確認ができていない)
1度目は、アナがハンス王子と意気投合し受かれとんちきとなり婚約をした歌の場面だ。その時にアナとハンスによって歌われる歌のタイトルは「Love Is an Open Door(日本語訳:扉を開けて)」だ。これがLove is 〜〜という形で愛が定義された初めてのシーンだ。

愛を扉として定義しているのは、珍しいように思う。しかし、アナと雪の女王という作品においては、それと逆の場面では扉がとてもよく出てくる。それは、誰かや何かを拒絶したり繋がりが絶えてしまうような描写で、だ。例えば、エルサがアナを魔法で傷つけてしまった後、本意ではないとはいえ、アナを拒絶する場面ではアナが声をかけようとするまさにその時に、エルサが扉を閉じて姿を隠したり、そもそも扉を固く閉じて「向こうへ行って」と拒絶する。(Do You Want to Build a Snowman? 日本語訳:雪だるま作ろう)また、エルサの魔法が周囲に知られてしまいやけっぱちになりLet it goを歌う場面の最後は、氷の城の扉をエルサが閉じるシーンで終わる。他にも、ハンスがアナを裏切り殺そうとするシーンでは、エルサの魔法で氷漬けになりそうなアナを一人部屋に残してハンスは扉の鍵を閉める。一方で、扉が開くシーンも存在している。先述のハンスに裏切られて凍えるアナのいる部屋に、自慢の鼻(人参)を使って扉を開けるのはオラフであり、彼は自分が溶けてしまうのを厭わずにアナを暖炉の前に連れていく。また、この直後に、突如として窓は開かれるのだが、そこからはアナを助けるためにスヴェンを駆るクリストフがオラフによって発見される。

また、描写でだけでなく、セリフの中にも扉を想起させるものがある。「(Don't) shut me/world out」はアナがエルサに投げかける台詞としてよく登場する。件のハンスと「Love is an open door」を歌う直前にも「昔は仲良しだったのに、ある日突然私を拒絶するようになった」という内容の会話を交わす場面や、アナとハンスの婚約に反対したエルサを「なぜ世界や私を拒絶するのか」と糾弾する場面、氷の城に閉じこもるエルサを説得するために「世界を拒絶してはいけない」とアナが語りかける場面などに登場した。このように、多くの場面で使われるフレーズだが、shut me out つまりshut outは、主に辞書的に言えば、人を中に入れないようにするなどの意味であり、扉を閉ざすというイメージと親和性が高い台詞だ。

さて、扉の話はここまでとして、愛を定義しているもう一つの場面は、先にも少し触れたオラフがアナを暖炉で温めてやるシーンにある。ハンスに裏切られたアナは愛がわからないとオラフに漏らす。その時にオラフは「Love is putting someone else's needs before yours」と愛を説く。その例えとして、アナを愛しているにもかかわらず、凍りつきそうな彼女を案じて恋敵?のハンスに、アナを預けたハンスの行動をあげた。(ついでに、君は愛ってもんが全くわかってないんだね、と呆れた)


このように、アナと女王の作品内には、少なくとも愛が定義されている箇所が2度ある。一つはLove is an open doorという歌に、もう一つは、Love is putting someone else's needs before yoursという台詞で。

しかし、定義がされるだけでは、不十分だ。アナと雪の女王は映画であり、ストーリーがある。であれば、それはその定義が正しいことをキャラクターの行動で証明されなければ、空言に等しくなってしまう。だが、この定義とその証明の結びつきを理解するのに、私はだいぶ長い時間がかかった。ただ、早かれ遅かれ、愛が試されるのは、物語の佳境においてである。

ハンスによって捕らえられたエルサは、なんとか城から脱出し、フィヨルドを渡って誰もいない場所へと逃げようとする。しかし、化物エルサを殺すことで英雄となりアレンダールの王になろうとするハンスに追いつかれて、エルサは剣で斬り殺されそうになる。

一方のアナも命の危機に瀕している。アナはエルサの魔法によって体が氷漬けになってしまいそうになっていたのだ。この魔法を解くための方法はトロールの長老に教わっていた。「act of love」だ。トロールたちはキスだと騒ぎ立て、アナとクリストフ一行もその通りだと了解し、アナはハンスにキスを求めるも画策を企てるハンスにはアナは死んでくれた方が都合の良い存在であり、アナはあっさりと裏切られてしまう。かくて、真実の愛=キスというディズニーの伝統が死んだのである。

しかし、突如と晴れた吹雪の向こうでクリストフがアナを発見し、アナもまたクリストフが駆け寄る姿を認める。と、同時に、今まさにハンスがエルサを斬り殺そうとしていることを知る。アナは迷う。ハンスの元に行けば、キスによって魔法が解けるかもしれない(この時はまだキス=act of loveだとアナは思っていた)、しかし、そうなれば姉のエルサは死ぬ。だが、エルサを助けに行けば、自分は氷漬けになって死ぬ。どちらをとっても誰かが死ぬ。まさにデッドロックだ。果たしてアナが選んだのは、エルサであった。その身を呈してエルサを庇うと同時にアナの体は凍りつき、ハンスの剣を砕いてエルサの命を救った。アナの犠牲にハンスやオラフ、なによりエルサが悲しみに暮れるが、すぐに魔法は溶ける。なぜかはオラフが教えてくれた。「act of love!」と。そう、アナが身を呈してエルサを救った行動こそが、act of loveであり、アナを救う道だったのだ(そして、ディズニーの伝統は永久の彼方に消える。the past is in the pastだ(Let it goの歌詞だよ))

僕は上述したとおり、難しく考えすぎることによって、曲解してしまうことを避けようと思っている。それはキャラクターの台詞は信じることとし、作品内で言及されたことは、そういうものとして受け入れるということだ。

まず大事なこととして、トロールの長老はact of loveとはいったが、キスをしろとはいっていない。ただ、act of loveが氷を溶かすといっただけだ。そして、アナと雪の女王の中で定義されている愛のうち、この時のアナの行動と一致しているのは「Love is putting someone else's needs before yours」だ。アナの行動で愛という基準で評価されたのは、自分の身を犠牲にしたことではない。アナが自分よりもエルサを優先したことこそがact of loveなのだ。つまり、クリストフの元へ行って自分が助かりたいという思いよりも、エルサを助けたい(あるいはエルサが助かりたいという気持ち)を優先したこと、だ。アナはact of loveを実践することで一度は凍りついた自身を自ら救ったのである。

さて、謎はまだ残る。アナが助かった後に、エルサの暴走した魔法によって凍りついたアレンダール王国をエルサは元に戻す。その方法はずっとエルサ自身にもわからなかった。しかし、復活したアナとの会話の後にエルサはその方法を突如として悟り、アレンダールに夏を取り戻す。エルサが何に気づいたのか、これが長いことさっぱりわからなかった。

アナとの会話は概ね以下のような感じだ。
エルサ「自分を犠牲にして(私を助けてくれたの?)
アナ「愛しているもの(確か英語音声では一言Loveと言っていた)」
この直後にエルサは「愛、そうよ、愛」と言って、魔法の新しい使い方に気づいて、夏を取り戻す。

オラフが定義してアナが実践し証明した「Love is putting someone else's needs before yours」という愛を、エルサは行っていない。アナとの会話の直後にその魔法の使い方に目覚めたのであり、その他の行動は一切とっていない。人々から遠ざけられ、感情を抑制され、自らの力に怯え続けてきたエルサのこれまでの生活が、他者よりも自らを優先してきた、そのツケがようやく払われたのだ、という向きの見方もまぁできないことはないが、それであれば、あんなにも魔法のコントールに悩んでいたのが理解できない。もしくは、アナから愛を与えられたというのも、違うと思う。そうであれば、アナはクリストフからの愛を受けた(恋敵のハンスにアナを預けるという)段階で、アナの魔法は溶けていてもおかしくなかった。アナと雪の女王において、誰かに宿った愛はその人のものである、という厳格なルールのようなものがある。それが誰かの心を癒すことはあっても、別の誰かの愛とはならない。

そこでようやく、Love is an open doorである。エルサの精神状態というのは、唯一の家族であるアナを拒絶し、世間を拒絶し、王家の責任も拒絶し、例えるのであれば、自分の外にあるもの全てを締め出している。まさに、shut outである。Let it goにはNo right, No wrong, No rules for me. I'm free.という無茶苦茶な歌詞がある。善悪や規範すら捨て去って自由を求めた、そこに他者が入り込む余地はなく孤独でいることしか許されない。また、エルサの魔法は彼女の精神状態に大きく左右された。不安を感じていたり怯えていたりすると、魔法を抑えることができず、たびたび人を傷つけてしまいそうになった(エルサは自分から人を傷つけたことなどないことは強調しておきたい)。自分と大切な妹を守るために、人を遠ざけていったが、両親の死別とともに悪い方へ弾みがついてしまい、世界の全てをエルサは閉ざしてしまっていた。おそらくエルサが気づいた愛とは、閉ざした世界へ再び開かれること、だと僕は思う。誰か/何かと関わることを自分に許して、誰か/何かが自分に関わることを許す、そのような何物にも開かれた心のありよう。きっと、それがエルサが気づくべき愛だったのだ。

アナと雪の女王における愛とは二つあり、その二つが異なる様態を呈していた。よって、私は混乱したのだと思う。提示する。
一つは、Love is putting someone else's needs before yoursというact of love。もう一つはLove is an open doorというbeing of love。この二つをアナとエルサの行動とあり方によって描く作品、それがきっとアナと雪の女王という作品だったのだと、僕は思う。

長かった。まさか5000字近くなるとは思わなかったのでそういう意味でも長かったが、作品を飲み込めるまでにかかった時間も長かった。見直しはしてない。長いから。

また、どこかにまとめておこうと思う。とりあえず、もう眠い。エルサに幸あれ。(2のディスク欲しい)
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