レインウォッチャー

アナと雪の女王のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

アナと雪の女王(2013年製作の映画)
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海外の作品を観る際は字幕で観ることが殆どなのだけれど、幾つか1stインプレッション等の経緯あって吹替版のほうが定着している映画 / ドラマもある。今作もずっとそうで、そして今日になってそれがこれからも決して覆らないだろうものになってしまった。

もちろんイディナ・メンゼルもクリスティン・ベルも、そして松たか子も名演・名唱であることに疑いはない。でもそれ以上に、わたしにとって神田沙也加=アナありきの作品だった。そしてまた、この日本全体でもそうだ、と言っても決して過言ではないと思っている。

製作当初、雪の女王エルサは所謂ヴィランになるよう設定されていたのだけれど、テーマソングとして書かれた「Let It Go」のあまりのクオリティに設定変更がなされたのは有名な話だと思う。
つまりそれほどまでに「楽曲ファースト」の作品であることが名実共にわかる。そしてその慧眼は正しすぎるほど正しかった。特にアニメーション表現と楽曲をリンクさせて見せる手法においては、「Let It Go」以前・以後で時代が分かれると言って良いほどだろう。

そのあまりの巨大さが良くも悪くも一人歩きしがちではあると思うのだけれど、楽曲的にも映像的にも中心(山場)となる「Let It Go」の周囲を支える楽曲群も皆バリエーションに富んだすばらしいものばかりで、それらの多くのパートを歌うのはアナだ。

エルサが作品の中で(そして作品という枠を超えても)重い役割や責任を担わされたのと対照的に、アナはその分自由に多くの感情を受け止めて、軽やかに泣いて笑って怒る。ディズニープリンセス史の中でも指折りの「フツーの」子であるアナは、観客のわたしたちと一番近い目線に寄り添って、物語をガイドしてくれる存在でもあった。

メインの視聴層が子供(とその親)であることから、日本の「アナ雪」は吹替で観られることが多かっただろう。つまりはアナ=神田沙也加と一緒に、たくさんの子供たちが育っていったのだと思う。(わたしの周りでも、女の子/男の子関わらずこの作品を観た後ではお歌が止まらなくなっている光景をよく目や耳にしたものだ)

上にもすこし書いたようにエルサというキャラクターやその力の捉え方には諸説あって、当初の作り手側の目論見を超えて大きく・広くあらゆるマイノリティの象徴のようにされている感もある。それは良し悪しではあれ、確かなのはエルサがその当事者ならアナは架け橋となって「耳を傾け心を開く」存在であるということ。

いま、日本でも多様性というワードが定着したと言って良いだろう。もちろん自らを当事者と感じる人々からすれば実質・中身はまだ追いついていない部分も多くあるだろうけれど、少なくともやっと「ここまで来た」土台の一翼はこの作品を観た世代が担っている。
アナがエルサに駆け寄っていったあの姿を…そして声を…思い出すとき、きっとすこしだけ、ほんの一歩分かもしれないけれど勇気が出る。その一歩はいつか、この作品が再定義しようとした「愛」に届くのではないだろうか。

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一番好きなのは「Love Is the Open Door (とびら開けて)」。ハモりを練習しました。

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※この作品はわたしにとって「レビュー」はできないものになってしまいましたので、スコアリングはしておりません