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ディス/コネクトのりのレビュー・感想・評価

ディス/コネクト(2012年製作の映画)
4.1
本作は3つの異なるストーリーが展開されており、『マグノリア』や伊坂幸太郎を彷彿させる手法になっている(名称はあるのだろうか)
いずれの話もコネクト(つながり)に関するが、"コネクトからディスコネクト
"に至った話と"ディスコネクトからコネクト"に至ったものがある。つまり、前者はテレビのリポーターで(注1)、後者が残りの2つである。
コネクトからディスコネクト(つながったけどつながれない)の話はなんとも胸が痛かった。というのも、私自身がインタビューを通じた論文を書いていて、どこか自分自身と重なってしまった。つまり、他者の領域にヅカヅカと土足で入り込み、彼らの思考や価値観を吸い取る。この暴力的な営みが可視化されてしまって、やるかたない気持ちに襲われてしまった。
一方、ディスコネクトからコネクト(つながれてなかった、あるいはつながっていると思い込んでたけど、最終的につながれた)は日常生活で沢山あることだなあと思った。つまり、他者を理解していると分かったつもりになっていて、相手の気持ちを無視してしまう。すなわち、勝手に他者の気持ちを類推することはあり、それがディスコネクトを生み出している。
例えば、常日頃から親友や恋人とコミュニケーションを取っていても、彼らは日々変化しているわけであるから、前に言ってたことが今でもそうであるとは限らない。しかし、勝手に「相手は前にそう言ったからこう思っているはずだ」や「相手はこういうことを望んでいるはずだ」と思い込む。だか、それは確証があるのだろうか。思考や価値観はある程度は変化しないが、一方で流動的な側面もある。そのため、勝手につながれていると思っちゃうのは大間違いで、いつでもディスコネクトが生じていることを前提にしなければならない(注2)
本作で特徴的だったのは、身体的にはコネクトしているが精神的にはディスコネクトしている家族の話である。つまり、家族という制度の中で共に暮らしているが、相互に理解し合ってはいない。それどころか事件があってから、ようやく"家族の穴"を認識する事態が生じている。

注1
これに類似する関係性は『万引き家族』でも見られたけれど、法外の関係の方が親密で実りがあることを描いている。つまり、特定の制度(家族制度や婚姻制度)に頼っていない分、絆(bond)によって強く固く結び付けられている。

注2
いささかディス・コミュニケーションと混じってしまったが、そこからディスコネクトを抽出する作業はやっかいなのでここでは取り出さない。また、コミュニケーションは相手に情報を伝達することと定義すると、それをコネクトと捉えることも可能である。
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