優しいアロエ

ラストエンペラーの優しいアロエのレビュー・感想・評価

ラストエンペラー(1987年製作の映画)
4.0
〈時代に踊らされた男がその糸を断ち切り、また踊らされるまで〉

 ベルナルド・ベルトルッチは、とある時代のポリティカルな背景をストーリーに練り込むことを持ち前とする監督らしい。たとえば、第二次大戦前後のイタリアにおけるファシズムの台頭/凋落と絡めた『暗殺の森』『暗殺のオペラ』、文化大革命に触発されたパリの学生たちによる5月革命と絡めた『ドリーマーズ』などだ。

 本作『ラスト・エンペラー』もまた、ひとりの人間の半生を見つめながら、大戦前夜から後夜まで跨いで中国史の一片を巡っていく、壮大な叙事詩である。
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 清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀。彼は長らく実権を握ってきたダース・シディアスのような女、西太后の遺言により、1908年わずか2歳で即位した。当時の清は孫文らの率いる革命運動に沸いていたが、そんな外側の狂熱を一切遮断した「紫禁城」というゆりかごの中、溥儀はすくすくと育てられた。

「紫禁城の外では皇帝ではないが、紫禁城の中ならあなたは皇帝だ」

 袁世凱政権とのそんな異色な取り決めによって溥儀は井の中の帝として生かされていたが、そんなイノセントな時間にも終止符が打たれる。1924年の北京政変により、溥儀はふたりの妻とともに紫禁城を追い出されたのだ。

 しかしそれは、溥儀にとってよい転機でもあった。すでに政治への知見を得ていた溥儀は天津へと亡命し、大日本帝国の庇護のもと、新たな帝国を築こうと画策。1932年に満洲国執政、34年には皇帝に就任する。ちなみに、彼のトレードマークとなっている「丸メガネ」は、幼い頃に近視のため掛けはじめたものだが、もともと清国では皇帝がメガネを掛けるのは禁制であったらしく、異例の措置であった。溥儀は皇帝として人生を強いられた一方、“革新へと舵を切る者としての自覚”もまた幼い頃に身に宿されたのだ。(なんて強引な解釈だ)
 
 だが、そんな志もあいなく、溥儀は日本軍の傀儡政権として機能するに至る。大戦後は日本本土への亡命を図るもソ連に捕虜にされ、引き渡された中国で戦犯として管理所に収容される。朱いゆりかごのなかで高明な意識を培っていった溥儀だったが、最後はふたたび時代に弄ばれたのであった。
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 さて、本作はイタリア人が中国の歴史をなぜか英語で撮り、日本人が劇伴を担当し、アメリカで受けた変態無国籍映画でもある。コロンビアが配給を担っているとはいえ、英語を主言語にしたのは玉に瑕だ。

 坂本龍一は『戦場のメリークリスマス』ほど派手ではない劇伴を以て、時代の哀愁をほのかに引き立て、デヴィッド・バーンとともにアカデミー作曲賞を受賞した。また坂本は、溥儀政権を裏で操った陸軍士官、甘糟正彦役としても本作に名を刻む。
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