シュトルム凸映画鑑賞記録用改め

ウルフ・オブ・ウォールストリートのシュトルム凸映画鑑賞記録用改めのレビュー・感想・評価

4.2
勝手邦題「兜町の狼と呼ばれた男」

すげー楽しかった。
ぶっちゃけ、同じスコセッシ監督の「カジノ」と同じ構造の物語(アウトローな成り上がりストーリー→仲間や友人との桁外れの御乱行→友人や家族の裏切りと破滅)ではあると思うが、雰囲気は陽性で、随分違う。どちらかといえば、同じディカプリオ主演の「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」という映画に近い空気がある。してみると、これは賭博屋と株屋の業界の違いというよりも、主演俳優のキャラクターに依るところが大きいのだろう。デ・ニーロは、基本的にワルではあっても常に一歩引いた感じで、醒めたオトナとして他者の暴走を受け止めるが、ディカプリオは自ら率先して羽目を外す役が似合っている。天性の若々しさ、天衣無縫というべきだろう。
そして、ここまで無軌道な金持ちの悪を描いても共感させられてしまうのは、アメリカでは、アウトローはどんなに成功してもノンエリート、ノンエスタブリッシュメント側なので、貧しい一般大衆に心情としては近しいというところと、庶民の願望欲望を代理で叶えるような痛快さがあるからではないか。我が国でいえば、ねずみ小僧に喝采を叫ぶような江戸の庶民の感覚に近い。その感覚を支えているアメリカの貧富の差は未だ激しい。自由と平等はトレードオフなのに、不平等を甘受してまで手に入れた自由が、富と同じくらい偏在しているというやりきれなさに風穴を開けるのがこの、トリックスターとしての主人公の役割なのだろう。
だから、シングルマザーの新規採用職員に5000ドルの前借りを申し込まれて、即座に25000ドルの小切手を切ったという主人公の「美談」が、社会問題の本質的解決とは無関係であっても、目を背けられないし、そんな美談を主人公自身が満座で披露してしまうというのも、実にアメリカ人らしい。陰徳を積むという感覚ではないのね。
エピローグの「転んでも只では起きない」しぶとさも、たとえ犯罪であってもユニークなスキルと経験を持った者が勝ちというかの国の形を示しているのだ。太平洋の向こう側に比べれば日本はまだまだ共同体的で、社会主義的な羊の群れである。