このレビューはネタバレを含みます
何が良かったって、ちゃんと踊っているポリーナ・セミオノワが観れたこと。これだけで充分です。もうそれ以外のことは許しましょう。
それにしても、どうしてデ・パルマはこんなに劣化しちゃったんでしょうか。ノオミ・ラパス(『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』)、レイチェル・マクアダムズ(『君に読む物語』)なんて売れ筋を使えてるってことは金の問題でもなさそうだし、それに結末が分かっているサスペンス・スリラーのリメイクなんか手を出さなくても良さそうなもんだとは思うんですが、インタヴュー記事を読む限りは本人はノリノリでやってたみたいだから、札びらで引っ叩かれて無理やり作りましたってことでも無さそうだし・・・。
それにしても、たった2年前公開の『ラブ・クライム 偽りの愛に溺れて』のリメイクって、アラン・コルノー監督のファンに喧嘩売ってるとしか思えません。ましてや、これ遺作の映画なんですよ。遠慮ってものを知りません。
そもそもですよ、オリジナルのままなのかどうか知りませんが、夢物語とかデジャヴーは良いにしても、夢落ちはダメだって。客を馬鹿にしてるとしか思えませんよ。主人公の軸付けをラストのドンデン返しで変えちゃうってのもダメよ。良い人は最後まで良い人じゃないと。サスペンス・スリラーの鉄則ですよ。それにまた双子ネタですか。もうデパルマっつうたら双子ネタまた使うんじゃないだろうか、って構えて観客は見てるんだから、もう止めなさいって。作劇もダメになってるけれど、細かいところもダメダメです。もうちょっとは主人公二人を綺麗に撮れないもんでしょうか。ヴィルモス・ジグモンドとまでとは言わないけど。それに音楽にしてもバーナード・ハーマンのまんまじゃないですか、もう。あれだけ素晴らしい映画を撮り続けてきた監督にしては悲しい限りです。
『戦争映画を撮ると監督はダメになる』説ってのがあって、私はこれ結構信じてるのですよ。デ・パルマは『虚栄のかがり火』(1990年)がコケてからダメになったと一般的には言われていますが、実はその前の『カジュアリティーズ』(1989年)で完全におかしかったですからね。ベトナム戦争の少女強姦事件を扱ったお話ですが、こういった正義感で映画を作ったりすると劣化が始まるんですよね。スピルバーグにしても、『太陽の帝国』(1987年)であれっと思わせて『シンドラーのリスト』(1993年)で完全にお里がバレました。コッポラも『地獄の黙示録』(1979年)でほとんど発狂。自身がカーツ大佐になっちゃってどうすんの。黒澤明も『どですかでん』(これを戦争映画に含めるのに異論がある人も居るでしょうが)撮って、この人大丈夫かいな、と周りの人をみんな心配させて、案の定、その後全く仕事がなくなる訳で・・・。
ちと脱線しましたが、つまりですね、正しい、正しくないの話を追求すると、途端に映画が嘘くさくなるから止めなさい、というお話でございます。おそらく、嘘臭くなるからどんどん厚化粧が始まっちゃうんです。