日高

her/世界でひとつの彼女の日高のネタバレレビュー・内容・結末

her/世界でひとつの彼女(2013年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

人工知能を持つ魅力的な女性と、美しい映像や音楽に、脳みそをトロトロに溶かされながら、言語と精神と肉体と官能を考えた。
物質的な実存を錯覚させるOSプログラムという設定はもちろん、手紙の代筆職人という主人公セオドアの設定も、虚に近いところに立つ人という感じで、これがとても良い。
彼の身体はこの世にありながら、精神はぼやぼやと空想に生きている。しかし裏を返せば、人間として可能な範疇のギリギリまで自由を攻めた存在であるとも思う。その場合、身体は彼を縛る唯一の鉄鎖であるとも捉えることができるだろう。
だからこそ、セオドアとOSプログラムの恋愛は成立した。実存のど真ん中を生きる多くの現実的な人々は、OSプログラムに恋するなんてきっとバカバカしく感じると思う。実際、セオドアの元妻がそうであったように。
恋愛関係が深まるにつれて、互いに相手との違いを意識するようになる。中盤までの主題、「身体がなくて絶対に触れ合えない関係の寂しさ」は、ふたりの大きな落胆につながっていたように思う。絶対に縮まらない隔たりを、こちらも嫌というほど思い知らされる。
しかし、その後に続く「身体があることによって永遠に開き続ける距離」は落胆を超えて恐怖すら呼び起こすものであった。前半の落胆は、諦めたり工夫したりして折り合いをつけることもできようが、後半の恐怖にはもうどうしようもない。焦燥と不安の中で距離が開き続けるのを指咥えで見ているだけしかできないセオドアと一緒に、こちらも心を痛めた。
主題の切替によって、身体の捉え方がぐるりと転換するところが、ひとつとても面白いところだったように思う。あんなに欲しかったサマンサの身体、でもふたりがそれを諦められた途端、今度はセオドアの身体が鉄鎖としてどんどん太く重くなっていく。振り返ってみるとこの切り替わりに心を揺すられたように思う。

映画を見ながら思いや考えを巡らす時は、常に主人公セオドアの考え方のフレームを用いた。「"今ここ自分"を生きていない」タイプの人間はこのフレームに馴染みがあるだろう。良くも悪くも、イマジナリーな世界への理解があるからだ。このフレームなくしては、彼女サマンサををリアルとは感じられない。しかし、我々の心の中でひとたびリアルとなったサマンサは、世のどんな女性より魅力的だから、セオドアのようにもう本当に困ってしまう。
わかる人には心にズンズンくる映画だと思います。