テロメア

インターステラーのテロメアのレビュー・感想・評価

インターステラー(2014年製作の映画)
5.0
「愛」は時間や空間を超えた座標である。

今作は『テネット』で描かれていたノーラン監督の時間に対する哲学、あるいは予定説の現代アップデート版と同じ理論でした。ノーラン監督がテネットとは違うところは、こちらは「愛」を紐解いているところ。テネットは予定説に対しての感情の必要性や有無を描いていましたが、今作は「愛」が主軸。

愛は時間や空間を超える。というと昔からあるアニメや映画のロマンチストが語る一説であり、もはやノスタルジーで形骸化した言葉に感じる。しかし、今作はそれを主軸とし、予定説の中での「愛」について描かれている。

予定説。ざっくり述べると、全ての物事はあらかじめ決まっており、何をどう動かそうともその事実や現象は変わらない説。だから、未来から過去に干渉したとしても、何も起きた出来事は変わらない。なぜなら、過去から見てもその出来事は既に起こっているが、自分の行動は変わったか、となるから。この場合、大抵が主人公の行動が変わったかと言えば変わらない。メタ視点的にいうと「映画」という世界そのものが「予定説」の概念を体現している存在であり、どんな紆余曲折を得ようとも映画を観客がみる前から映画の結末は決まっているのであり、一種の予定説の擬似体験をしているとも言える。

ノーラン監督の時間弄り大好き監督なのは、この映画=予定説という考えがあるからなのかも、とも思ったり。映画に対する考え方や哲学なのかも知れない。それを込みで考えると、映画のメタ視点的にも予定説的にも作中や我々の現実の「感情」の流れの有無は、当然ながら必要なのだ。それはノーラン監督がよく描く通り、感情を大切にしており、映画で言うなら、結末が決まっているのに登場人物に感情はいるのか、という問いに相当する。予定説の救われる者が決まっているのに善行する必要があるか、という問いと等しい。感情は必要なのだ。

そもそもマクロな視点で言うなら、人間の感情だって立派な物理現象だ。既に脳が感じる肉体が感じる良い悪いや心地良いか不快か、それらの総合的なものが個々人でビッグデータとしてあり、その積み上がったデータに則って様々な感情を発露する。それが人類単位でも同じだし、全地球や全宇宙をデータ解析可能なものがあれば、この世界は何一つ不思議はなく何一つ予想不可能なことはない。バタフライ・エフェクト(小さな現象がのちに大きな現象の起因となる効果)で語られているのは、そうした観測可能なマクロ視点からしたら、小さな現象は実は小さくないとわかる。人間一人一人の感情は小さく感じるが、それがのちに大きな流れとなることもある。だか、それはつまり、人間の感情も一つ一つが物理現象に他ならないとも言い換えられる。

今作で描かれている「愛」は、そうした予定説が内包することでもある。この宇宙や世界で起こっていることは、まだ人間にとっては観測不可能ではあるが、ビリヤードの玉を弾いたのと同じようにどう転がるかは観測可能である。つまり、人間の感情や「愛」についても同じで、「愛」とは物理現象である。しかし、他の物理現象とは(少なくとも作中では)違って、時間や空間を貫くものであるから「座標になりうる」、ゆえにあの特異点となる部屋へと繋がるのだ、と。

ノーラン監督は人間や登場人物の感情を大切に思っていると感じる。今作はテネットと対となる世界観で、僕的には今作の方がより好みでした。ロマンチックに「愛」を主軸にしているのと同時に、時間の描き方が予定説であり、愛は物理現象に過ぎない、しかし、それがなければここには至らない。というひとつ向こう側にある人の在り方がとても好ましい。

めちゃでかいメイキングブックも購入してあるので、ゆっくり読んでいこう。とても満足な一作でした。
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