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インターステラーのTEPPEIのレビュー・感想・評価

インターステラー(2014年製作の映画)
3.6
「インターステラー」は劇場で2回観て、1回目はとても壮大なSFであること、2回目はこの作品をよく分析することは外せない事であると実感した。小さい頃、特に小学生の時は宇宙が大好きで図鑑を見たり、今でもひょっこり天体望遠鏡出して見ることもある。現在NASAに入るために猛勉強中の友達(ものっすごい天才)と一回この映画について感想を言い合ったことがある。どちらかといえば、むしろ専門家に聞いた方がリアルだろうなと思っていたけど彼の意見は物凄いし、解説も分かりやすかった。しかもこの映画は科学の範囲からはみ出していないとまで断言していた。結果、クリストファー・ノーラン作品の中でも異色であり、最も映画的な難しさが画面から伝わってしまう作品だという答えに至った。
元々ノーランの弟であるジョナサンと、スピルバーグが考案したブラックホールとワームホールを扱った脚本がスタートだった。僕もホーキングの本を読んだ時に興味をもった、このブラックホールというのはアインシュタインとローゼンの論文から成り立って、なんと彼らは超高速運動でほかの宇宙への抜け道を通ることを示したのだ。ワームホールは離れた場所をつなぐ時空構造であるため、実質タイムマシン。本作を製作したキップ・ソーンのガチガチサイエンス映画にどれぐらい映画的な面白さを取り入れるかがノーランの手腕にかかっていた。
クリストファー・ノーランがメガホンを取る事が決まった時に、クーパーの子供の性別を変えたり、ストーリーラインを大幅に変更したりと脚本自体にもドラマ要素が追加された。環境問題に追い込まれた地球、そして移住可能なスペースコロニーを作るために「重力」を研究するプランAと移住可能な星を探すプランBを持った人類存亡がかかったラザロ計画、宇宙探検が始まるというストーリー。この重力が本作の鍵を握っている。まずこのラザロ計画と12人の飛行士というのが聖書に沿っているのが特徴的で、それだけでなくディラン・トマスによる「穏やかな夜に身を任せるな」という一節も本作の鍵だ。
映像面はとにかく美しく、ヒッチコックの「めまい」とキューブリックの「2001年宇宙の旅」を意識しているのは確実。確かにこの宇宙描写はキューブリックの再来レベルと言えるほどリアルだし、NASAの公式サイトにある写真よりよっぽど宇宙空間の広さを感じる事ができる。しかし肝心な演出面でいえば、ノーランらしくない淡々とした場面が続く。役者たちの熱演が少し勿体ないくらい感情的なシーンにはセリフで片付けがちなのが残念だった。色々と説得力が欲しい。いざ探検する前にあの星にどの星にするって天下のNASAが何のシュミレーション無しってのもアレだし、人類存亡というのに緊張感がない。ダストボウルを意識してるのだけど、全体的にはアメリカ色が強い。
マシュー・マコノヒーとアン・ハサウェイはじめ、ノーラン常連もチラホラと出演しているが、どちからといえばワームホールをはじめとする「次元の映像化」と、難解な脚本が忙しくドラマに追いつけない。
少なくとも最初意味が分からなかった。「インセプション」の100倍は難しいんじゃないのこれって。2回、3回目でようやく重大なセリフともいえる「時間の仮定」「五次元」の存在を掴めてきた。
総括するとテーマはなるほどなぁと思える事が多く、友人の解説のおかげでより良く見えるようになったのも確か。
宇宙も時間も人間が位置付けた「ある」という存在で、それを「ある」としていれば重力の謎を解くことは出来ない。
すっっごい分厚い教科書を読んだ気分だ。そこまで詳しく観なくても映像美と何となく感動で壮大な部分を楽しめれば良かったのだけど、いかんせん長尺かつ勝手に進んでしまう事が多いので映像すごかったぁだけでは終われないと思わせた映画である事は確かだ。面白いし、感動もできるノーラン作品ではあるが「2001年宇宙の旅」でもあったようなエグい部分が何だか欲しかったような。ドラマが平坦すぎて、ノーランというブランドが無ければ辛かったかもしれない。
総評として「インターステラー」は終末感が少し欠けた地球描写の詰めの甘さとは反対に、壮大で美しい宇宙の旅を提供している。映像面だけならばとても印象派だろうが、ストーリーも面白いかと言われるとそうでもなく、かと言って気楽に見れるものでもないので何とも頭の痛い映画である。理屈を凄く並べる映画だけど理屈抜きで楽しんでくれって感じである。
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