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  • インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌の感想・評価

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌(2013年製作の映画)

Inside Llewyn Davis

上映日:2014年05月30日

製作国:
  • アメリカ
  • / 上映時間:104分
    監督
    イーサン・コーエン
    ジョエル・コーエン
    脚本
    イーサン・コーエン
    ジョエル・コーエン
    キャスト
    オスカー・アイザック
    キャリー・マリガン
    ジャスティン・ティンバーレイク
    ギャレット・ヘドランド
    ジョン・グッドマン
    F・マーレイ・エイブラハム
    マックス・カセラ
    アレックス・カルボウスキー
    イーサン・フィリップス
    リカルド・コルデロ
    スターク・サンズ
    フランク・リドリー
    アダム・ドライバー
    あらすじ
    1960年代、冬のニューヨークが舞台。まだマスコミやレコード会社などが発達していなかったこの時期、シンガー・ソングライターのルーウィンはグリニッジ・ヴィレッジのライヴハウスで歌い続けながらも、なかなか売れず、音楽で食べていくことをあきらめようかと考えながらも友人たちに助けられながら暮らしていく1週間を綴った物語。

    「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」に投稿された感想・評価

    60年代ニューヨークのどんよりとした感じだけでも沁みるのに、アイザック様のフォークソングがダブルパンチで沁みる…
    周りはトントンと上手く時代を生きているというのに、自分だけが何やっても不運続きで、ただただどうしようも無いんだけど、その虚しさになぜかコメディを感じてしまったのは私がブラックなだけかしら…
    くすぶっているフォークシンガーの不運な日々を眺めながら、「好きなもので食べていくってやっぱり難しいよなぁ。でも大事にしたい思いは大事にしたいよなぁ。」なんて思って自分の足元を見つめなおした作品。

    猫のくだりが好き。特にあの人が発狂するとこが好き。

    キャリー・マリガンの怒った顔とドスの効いた声も好き。「いやいやあんたも同罪でしょ(´-`)」って感じなのにひとりでひたすらキレてるのが可愛い。

    音と作品の雰囲気が最高に素敵。
    1960年代という時代の渦中で夢を掴み損ねたある男の一週間。
    フォークシンガー、デイヴ・ヴァン・ロンクの自伝を参考にしている作品で60年代初頭のフォーク(プロテストソング)シーンの熱気が描かれるのではなく、その眩い光の裏にある、闇の深い影を描いた作品だろう。
    オスカー・アイザックの演じる主人公、ルーウィン・デイヴィスはひたすらに益体もないその日暮らしのフォークシンガー。常宿や寝床もなく、彼のファンのアッパークラスの住人や、ミュージシャン仲間のソファを借りて、泊まり歩いてばかり。彼がそうなってしまった理由は劇中でも仄めかされているが、自分の才能に踏ん切りがつけず、ただミュージシャンであるという自負と自意識が肥大し、武士は食わねど高楊枝という誇りが邪魔して、妥協することも出来ず、精神的にはのた打ち回る日々にすっかり慣れてしまっている。
    ただひたすらの彼の人間性は愚図でクズな人間のそれで、あまり見ていて気持ちのいいものでもないし、その一挙一動が胸の詰まりそうな描きであり、カメラは徹底してそんな彼の姿を捉えている。
    この映画において、ルーウィンに「光」が当たることはほとんどない。彼がミュージシャンとして一番輝かしかった日々は当に過ぎ去り、その日々ですら、自ら輝いていたものではないということは内心気付いていたのだろうけど、そうやって開き直って、後戻りや考え直すこともフォークシンガーとしてのプライドが邪魔して、生活はただ行き詰るばかり。画面もひたすらに彼がそういった「影」と同居するかのように、陰影の濃い映像が続いていく。
    本作はどの時代にもありえそうな、時代の潮流や繁栄から外れたり、乗る事が出来ない、生き辛さと孤独、夢への失望感にフォーカスして描いている。邦題に付く「名もなき男の歌」というのもその辺りが汲まれたものだろうと思う。
    自ら進めべき道と定めたにも拘らず、その一寸先すら見えず、打開策も見出せず、かといって信念を折り曲げる自信すらなく、夢も希望もなく、眼前の日常を何とか過ごしていく。そして、生き長らえば長らえるほど生き辛さも増していく。自分の歌を食い扶持にするも稼ぎは微々たる物で、才ある後進には追い抜かれていく。精神的体力ばかりが削られて、何をやっても上手く転がっていかない閉塞感が漂う中でルーウィンは「影」に溶け込んでいく。
    こうやって文面に起こしていくとかなり辛気臭い、息の詰まる話に見える(実際そうなのだ)が、画面から受ける印象はそこまで重厚さはない。というのは、オスカー・アイザックのペーソスあふれる演技と諦念を含ませたドライな映像表現や、劇中で生演奏されるフォークソングのアイロニーと優しさによるものだろう。彼にとっては歌を続けていく動機や魅力がそこに詰まっていて、そこから逃れられないからこそ、私生活がずたぼろになっていく。劇中で彼はその甘美な呪縛から解き放たれる決心をするが、それすらも上手くいかず、最後に「別れ」を告げ終えた瞬間、離れていく中で大きな「光」がルーウィンにまったく当たることなく、輝き始める瞬間を捉えるためにこそこの映画の意義があったのではないかと、感嘆した。
    この映画における「光と影」の描きはある一点の「光」を映し出すために、埋もれ行く「影」に拘った描きであるということを繰り返し言いたい。時代の熱狂の裏に確実に存在する醒めた失望や挫折、諦念に愛を持って描かれた作品であるし、ファーストシークエンスとラストシークエンスのミニマルな変化を描いた表現もそういった対比を浮き彫りにするためなのだろうと思う。けして楽しい作品ではないが、含蓄のある悲哀が滲み出た作品としてはなかなかに興味深い作品だった。あと全体的に猫に目のいく作品という点でも注目しておきたい。点数は作品の内容を考慮して。人生のどん底をのた打ち回るのを眺めるのは胸が苦しい。

    オスカーアイザック歌上手いしキャリーマリガンは相変わらず可愛い。とくにいい話しって訳じゃないけど雰囲気が好きだ。男の哀愁。
    ほんとにダメな男だけど
    歌っている姿は素敵だね。

    ジーンに罵倒されたり
    猫に逃げられちゃったり
    船に乗れなかったり
    ダメな奴だけど笑っちゃえる感じが
    淡々としている作品だけど飽きさせないですね。

    ジーンの家はどうやって家具を入れたのかしら?(笑)
    非常口からかなぁ?(笑)
    何がってわけじゃないけどなんとなく残る。猫を見捨てるのだけは許せんかったけど。
    米国版『苦役列車』。本当なら主人公のダメさを嗤いたいところだが、コーエン兄弟の手腕が完璧すぎて嗤えない。

    まず猫の使い方がよい。犬をうまく使った映画は数多観てきた気がするが、猫をうまく使いこなした映画は案外珍しい。シカゴへの短い往復もエピソードの組み入れ方が手際よく、サスペンスと毒気は極上だ。映像は終止端正だし、会話劇は相変わらず隙がない。亡き相方の影を全編に渡り漂わせる手管も感心するしかない。振り返れば褒めるところしかないのだが、なぜかイマイチ面白くない。完璧すぎて遊びがないからか。

    演奏する楽曲を除けば、半世紀前を舞台にした映画という感じがしない。現代を舞台にしてもそのまま通用しそう。その点で深みが不足しているのかもしれない。

    つい『苦役列車』を連想してしまったが、『苦役列車』の主人公(=原作者)がその後雌伏を経て作家として名誉を得ることを我々は(事後的ならぬ)事前的に知った上で映画を観ている一方、本作の主人公は本当に「名もなき男」として時代の中に埋もれていく。その救いのなさにやや殺伐としたものを感じる面はある。
    いい話でもなんでもないし、ただただ腐っていく男の話だけど、それでも何度も見てしまう。結局良いことなんてそうそうないし、いやなことばっかりだけどそれでも時間は過ぎていくし、時代は変わっていく。でも、悪いことばかりではないし、ちょっとづつ変わっていくこともあって、だから生きる。なんとなく生き急いでるように感じた時に見るとすごくしっくりくる話。
    舞台は1961年のニューヨーク、冬。フォークシンガーの男の1週間を描いてる。ボブ・ディランの「The Freewheelin' Bob Dylan」の世界観がコーエン兄弟の映像美とリンク。途中ヒッチハイクのくだりはもっと観たかったかも。
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