純

ノスタルジアの純のレビュー・感想・評価

ノスタルジア(1983年製作の映画)
5.0
大切なのは幸福になることじゃないよ。はじめに教会で掛けられるこの言葉が、最後までずっと救いであり続けてくれる。大切ってなんだろう。幸福ってどんなものだろう。ひとから尋ねられても上手く説明できないのに、「このひとは大切だ」「ああ幸福だ」ってわかる瞬間があるのは不思議だね。幸福を求めないひとなんてきっといなくて、皆自分たちの幸せを探す旅に出かけては、疲れてしまって、諦めてしまいそうになる。でも、大切なのは幸福になることじゃないよって言葉を受け取ったなら、明日が来るのが怖くなるのかな。

女性は忍耐と犠牲が必要だから神にすがるって、本当なんだろうか。男女共に、忍耐と犠牲が必要なくらい濃厚な人生を送ってはいるけど、相対的に見て、タルコフスキー監督にはそう感じたのかな。身体的に違いがあれば、精神的な違いも存在する。それは後半に火だるまになってしまう男の演説の中でも語られていた。「肉体と精神は一つにはなり得ないゆえ、人間は一つの人格にとどまることはありえない」。私たちは矛盾の塊で、正しさを簡単に失ってしまう。頭でわかっていることも、身体が訴える高ぶりも、どちらも正直な私たちの化身だって言ってあげたい。生き方も感情も一つにまとめてしまう必要性なんてなくて、その矛盾に苦しめるからこそ私たちは真っ当な人間なんだって思っていたいよね。火に強いメッセージ性を込めているように感じる彼の作品で、この言葉を声の限り叫んだ男は、命を燃やし、声を失い、煙に何を託したんだろう。

このシーンは、『ストーカー』と同様に犬の存在感がキラリと光っていた。無感情のように立ち尽くす人々に反して、悲しい遠吠えを辺りに響かせる一匹の犬。孤独を漂わせる佇まいでありながら、あの瞬間、世界に対して開かれていたのはあの犬だけだった気がして、それが恐ろしくもあり、希望でもあった。無関心な空気感の中にたったひとつでも自分に視線が投げかけられているということが、きっと人々を救ってくれている。直接手を取り合うことはなくても、見ていてくれているって感覚があること、見届けてくれる存在が確かにあるということは、本当に嬉しいことだ。

相変わらず芸術性と哲学性に富んだ作品のひとつだったけれど、この作品は特に印象的な台詞が多かった。例えば、髪の長い麗しい女性が感情的になって伝える、「あなたは与えられてもどうしたらいいのかわからないのよ、自由を知らないんだわ」という言葉。
この空気を吸うことよ、と続く台詞も詩的で美しかった。知らない空気の味に、いつか私も出会えるだろうか。他者と関わることは難しい。好意を示すにしても、誠実さと押し付けがましさの境界が曖昧で、伝えたい思いの強さに比例して、自分を守る姿勢や臆病さが芽を出してしまって。相手を大切にしたい気持ちと一歩踏み出さない気持ちは表裏一体だから、いつまでもどこまでももどかしいね。

映像美に関しては毎度言うことがないんだけど、『鏡』と『ノスタルジア』は飛び抜けて好みの画ばかりだった。そもそもの構図が素晴らしく幻想的で、空間の奥行きや光の彩度、響く声のトーンが本当に信じられないほど綺麗に重なり合う。視覚のみならず、時間の流れ方さえも支配してしまうようなあの感覚は、観るひとを映画の中に溶け込ませてしまう。神聖なるものの尊さにハッとするような引きの映像に、人間の内面を全て透かしてしまうんじゃないかと不安になってしまうほどのクローズアップ。バランスの取れた対比には、思わず感嘆と畏敬の念が募った。

大切なのは幸福になることじゃない。燃えた男が語ったのは、「大切なことは願いの完成ではなく、願いを持続すること」。その通りかもしれない。実らなくても大事だと言い切れることを、私たちはたくさん持っていたい。ゴールに到達することだけが全てじゃないって、優しく肯定していたいよね。祈りたいこと、願いたいことがあるというのがきっと一番最初の幸福で、その上その願いが消えずに炎を揺らめかせてくれていたなら、きっと私たちは満たされた気持ちを忘れないでいられる。何度も何度も途中で風に吹き消される火を、灯し直して大事に運んでいく男性は、苦しかっただろうけど、幸福でもあったんだって、今ならわかるよ。憧れの存在が、夢が、いつまでも願い続けられる場所にあること、少し遠く、頑張れば辿り着けそうな距離感で私たちを見守ってくれていることが、何よりの宝物だ。
純