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ノスタルジアのKKMXのレビュー・感想・評価

ノスタルジア(1983年製作の映画)
4.6
 噂通り難解な作品でしたが、直観的にはかなり伝わってくるものが多かったです。結構エモくて遣る瀬無いガーエーとの印象。いや〜面白かった。


 音楽家・サスノフスキーの研究のためソ連からイタリアに訪れた暗そうな中年男・アンドレイ(タルコフスキーのファーストネームでもある)。彼が研究している音楽家サスノフスキーは、19世紀の人で、故郷ロシアからイタリアに渡ったものの、農奴になるとわかっていながらロシアに帰国し、自殺したという経歴を持ってます。
 基本的にアンドレイはアンニュイで鬱々としています。身体も悪そう。アンドレイにはパツキン美女のアシスタントがおり、彼女はアンドレイを求めていますが、アンドレイは無関心です。アンドレイがしてることと言えば、少年時代の思い出に耽ることくらい。
 そんなアンドレイが狂人と噂されるドメニコという男と知り合います。そしてドメニコの家に行き『1+1=1』という数式を見つけ、「ロウソクに火を灯して温泉を渡り切ると世界は救われる」とドメニコに言われて、ロウソクを渡される…そんなストーリーです。こう書き出してみると改めて意味不明!


 そんな謎のプロットなんですが、とりあえず伝わってくることは、この世のどこにもアンドレイの居場所がない、ということです。
 彼が研究している音楽家サスノフスキーは、アンドレイ自身の心理状況とパラレルです。つまり、アンドレイも帰国すれば自殺するくらい精神的に八方塞がりなのです。
 アンドレイは国境(境界かも)がなくなることを望んでいます。おそらくソ連で嫌ってほど抑圧されてきたのでしょうね。あそこは人権とかないし。しかし、国境を越えれば異邦人なので、ありのままのアンドレイではいられないのかもしれません。アンドレイにとって国境が自己の連続性を分断するものなのでしょう。
 なので、イタリアにおいても彼は存在できないのです。だから彼は過去の追憶に耽ることしかできません。彼の居場所は少年時代の思い出の中だけなのです。つまり、彼は世界に失望しているのだと思います。

 アンドレイの世界への失望は、狂人ドメニコによって証明されているように感じます。アンドレイは現世に生きるパツキン美女ではなく、現世から打ち捨てられた狂人ドメニコにシンパシーを抱きます。つまり、ドメニコはアンドレイの代弁者と考えられます。
(すなわち、ドメニコ≒アンドレイ≒タルコフスキー)
 本作のクライマックスにおいて、ドメニコはローマの広場で演説をします。詳細はさすがに覚えていませんが、世界の融合を唱える、すげえ理想論でした。結果ではなくプロセスを重視し、健全な人も病める人も手を取り合って進化しよう、みたいな内容だったと思います。ドメニコの主張が実現すれば、世界平和が訪れるでしょう。

 ドメニコ≒タルコフスキーなので、この主張はタルコフスキーの本音の一部なのだと感じました。だから切実に伝わります。一見青臭い理想論ですが、その背後から痛みと悲しみが伝わってくるので、結構刺さりました。
 そして、この本音が狂人によって語られるのがミソ。病める人こそが正常であり、健全な人こそが狂っている、と反転しているように感じます。ドメニコの主張や広場で演説を聞く人たちの描写から、健全な人批判は感じられました。タルコフスキーは狂った世界に散々っぱら痛めつけられたのでしょうね、なにせソ連の人だし…
 一方で、光と影が融合することを願っているのが、タルちゃんのピュアなところです。1+1=1って、そういう統合のことを言っているのでしょう。対立を感じつつもそれを超えた高次元の世界を願う姿勢は高潔だし、胸に迫ります。
 そしてドメニコの末路からして、このような理想は所詮敗れ去る運命にあることもわかっているのです。悲しい…そりゃノスタルジアに逃げ込むのも無理ないです。
 ラストにアンドレイはドメニコから教えてもらった世界救済の儀式にチャレンジします。世界に失望しつつも理想の世界を夢想するアンドレイ。この儀式で本当に世界が救われる訳などないのですが、それでもアンドレイはガチで挑むのです。


 アンドレイの願いは国境がなくなること。政治的な都合に振り回された人生だったのでしょう。
 この世界救済の儀式は、世界のどこにも居場所がなくなり、追憶の中でしか存在できない彼自身の救済でもあるように感じました。儀式が成功しても世界は救済されませんが、もしかしたら彼の受難の人生は僅かに報われるのかもしれません。おそらく永遠に訪れない理想の世界を切望して魔術的な儀式にすがる彼の姿が、とても切実で悲しく、遣る瀬無かったです。

 また、理想は敗れ去ることはわかっているが、それでも挑むという、人類に通底している崇高な態度のメタファーにも感じました。一方で、『それは叶わないよ』という徒労っぽい虚しさも感じされられました。
 そこには世界の変革を望んでも叶わない、それでも理想を込めて作品を作り続ける芸術家の姿も見えてきます。狂った世界からすれば病人かもしれませんが、タルコフスキーはこのような本当に味わいが複雑で高度なアートを自分の魂を騙さずに作り上げたのだと感じました。凄い。ドメニコの演説〜世界救済の儀式はおそるべき深みがあるように思います。


 観応えありましたが、噂通りまったりスロー展開なのでスーパー眠くなりましたね。アンドレイの助手のパツキンがかなり好みだったためなんとか踏ん張れたのですが、美女不在ならば撃沈していたでしょう。ギリ集中力が維持できる2時間強の尺にも助けられました。
 さすがに画は綺麗ですが、個人的にはホドロフスキー先生とかクストリッツァみたいなカオスな画作りが好きなので、個人的には画の美しさだけでは持たないと推測してます。サクリファイスは大丈夫かな…尺も長いし…

 胎内回帰感もちと強すぎるし、困難を超克して赦しに向かう脂ギッシュなガーエーを好む俺としては、テーマ的にもど真ん中ではない印象でした。なので、本作は超面白かったものの、タルちゃんガーエーはフェイバリットにはならなさそうだな、と今の所感じています。
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