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おじいちゃんの里帰りのしゃにむのレビュー・感想・評価

おじいちゃんの里帰り(2011年製作の映画)
4.2
「我々とはこれまで起きたことの集約だ」

↓あらすじ
ドイツが移民受け入れ政策を始めて100万1人目の移住者の祖父とその家族。孫に恵まれ幸せに過ごしていた。孫の代にもなるとトルコ語も話せずいじめを受ける。祖父と祖母はドイツに帰化する。母国トルコへの思いと帰属意識に悩み祖父は故郷に土地を買う。休みを利用し一家で故郷トルコを訪れることに。しかし道中で祖父が急死。祖父は帰化したためドイツで葬儀を行わなければならない。わざわざトルコにまで来て引き返すわけにも行かない。我々とは何者か。悩む一家は祖父を故郷に帰してあげようと決断する…

・感想
故郷とは何か。私とは何か。狭い日本で人生が完結しそうな小市民的感覚からするとあまりピンと来ないし考える機会がない。せいぜい地方から移住した東京人というくらいの感覚だろう。母国を離れて別の国に根を張る。とすると別の国が子孫の母国になるような気はするけど移住者の子孫は何系何々人と呼ばれる。今作ではトルコ系ドイツ人。身近なところでは日系ブラジル人。何系というカテゴリーは何代まで付いてくるのだろう。そもそも区別する必要があるのだろうかと考えるときりがない。人の行き来が自由になった。それは便利なことに違いない。ところが人間のアイデンティティとか帰属意識が曖昧になってしまい大変不便になった。故郷は何処に行ってしまったか。複雑極まりない。祖父の故郷トルコに里帰りするシンプルなホームドラマながらテーマは実に奥深い。祖父はトルコで生まれ祖母と出会い家族になった。だからトルコが故郷だろう。ドイツに帰化しても祖父にとって故郷はトルコだけだ。それは分かるのだけど息子たちや孫たちの帰属意識はどこに向かうのだろうか。息子たちはトルコよりもドイツで過ごした時間が濃厚だ。孫にしてみればトルコで過ごした時間は皆無だ。ドイツで人生を歩んでいる。言語の継承も帰属意識の曖昧さを物語っていた。トルコで幼少期を過ごした息子たちはかろうじて日常会話レベルのトルコ語は話せる。トルコに行くとネイティブに笑われながら会話する。帰属意識が中途半端になる。それで孫の代になると完全にトルコ語を受け継いでいない。心無い子供たちに「偽トルコ人」と馬鹿にされてしまう。こうなるとますます混乱する。生まれはドイツでトルコの地に一歩も足を踏み入れたことはない。日本人の先祖は大陸から来たというくらいの感覚ではなかろうか。トルコ人意識はなきに等しい。だけど身内を見るとドイツ人だと言い張るのもおかしい。人間なら誰しも帰属意識があるはずなのにどこに帰属意識があるのか分からなくなる。戸籍がその人の帰属意識を証明するわけではない。トルコへの旅は私とは何者なのか真剣に考える貴重な経験になる。故郷は探す必要はない。探しに行くと戻っていいと気づく。故郷は自分の中にある。私とは私の先祖から受け継いだ記憶の総集合である。私が先祖の故郷に住んでいなくてもそこも故郷になる。私の中に故郷がある限り故郷である。何人かも分かろうと思えばわかる。自分の中にある記憶がそれを教えてくれるはずである。気づかされるきっかけは様々にある。故郷を先祖を思って感じる。私とは何者なのか。故郷とは何なのか。迷う人のヒントになる作品だろう。
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