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クラッシュのnetfilmsのレビュー・感想・評価

クラッシュ(1996年製作の映画)
4.4
 カナダ・トロント、塗装が光るジェット機の車体、その一つのウィングに乳首を擦り付け、自慰行為に耽るキャサリン(デボラ・アンガー)の姿がある。その腰をアラビア系男性が掴み、後ろから挿入する。楽屋ではCM撮影に向けた準備が始まる。制作会社の人間はプロデューサーのジェームズ・バラード(ジェームズ・スペイダー)を呼びに来る。カメラ室の中では、バラードが日本人女性との情事に耽っていた。トロントのハイウェイを眺めながら物思いに耽るキャサリンの後ろから「どこにいたんだ?」とバラードは静かに声を掛ける。お尻周りの開いたスリットを観音開きにしながら、キャサリンはバラードを誘惑する。愛し合って結婚した夫婦は既に互いを求めることでは欲情しなくなり、自分のパートナーが自分ではない誰かと関係を持つことでしか満たされなくなっている。仕事の出張へ向かう道程、助手席に置いた資料を眺めながら運転するジェームズ・バラードの車はハンドル操作を誤り、路肩を大幅に超え、対向車線からやって来た車と正面衝突する。大きな事故により互いの車は大破し、レミントン夫妻の運転していた夫は即死、妻のヘレン(ホリー・ハンター)は一瞬気を失ってからシートベルトを外す。その瞬間、スーツから露わになる左の乳房、この世の終わりのような壮絶な表情をしたヘレンの姿にバラードの目は釘付けになる。

 イギリスのSF作家J・G・バラードの傑作小説である73年『クラッシュ』74年『コンクリート・アイランド』75年『ハイ-ライズ』という70年代中期の「テクノロジー三部作」の序章を原作とする物語は、82年の『ヴィデオドローム』や93年の『エム・バタフライ』同様に主人公は一瞬で運命の恋に落ちる。83年の『デッドゾーン』において、雨の降る中最悪の事故に見舞われたジョニー・スミスは5年間の植物状態の後、突然目を覚ます。今作でも交通事故の極限を体験した被害者であるバラードとヘレンは刹那の最中、ボロボロになった互いの血だらけの姿に欲情する。女は偶然にもバラードと同じ病院に入院している。ギブスが外せなくなったバラードはヘレンの姿にあらためて欲情するが、偏執的な視線を投げ掛けるヴォーン(イライアス・コティーズ)が心底邪魔をする。だがボロボロに大破した車を確認しに来た2人は運命の再会を果たす。青い光、仮面夫婦のベッドシーツ、挿入時にも着衣している紺色のブラジャーなど、北野ブルー顔負けのクローネンバーグ・ブルーとも呼ぶべきあまりにも異色な色彩感覚。白衣の下に黒のガーターベルト、130番のポルシェ・550/1500RSは正面衝突し、痛みという名の快楽を全身に滾らせる。

 オリジナル原作ではエリザベス・テイラーに性衝動を感じたはずの物語は、映画版ではジェームズ・ディーンやジェーン・マンスフィールドの最期の瞬間への妄執に変わる。最新技術による人間の肉体の再生を主眼とした物語は、ただひたすら性的エネルギーの解放に向かう。テクノロジーとセクシュアリティの境界線、真っ先に『ヴィデオドローム』を彷彿とさせるアナログとデジタルの乖離は、死と隣り合わせの狂信的なオーガニズム信仰へと登場人物たちにカルトな歩みを繰り返させる。もっと過激に、もっと大胆にをクリシェとし先鋭化する過激なエピゴーネン。退廃的な表情と死んだ魚のような目、こめかみにドクドクと流れる真っ赤な血はクローネンバーグ初期作品の波打つ脈拍のようにある種狂った生を謳歌する。デボラ・カーラ・アンガー、ホリー・ハンター、ロザンナ・アークエットのあけっぴろげな女優魂、インモラルな性描写を露わにする物語は、賛否両論を巻き起こしたもののカンヌ国際映画祭で見事、審査員特別賞に輝く。
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