真田ピロシキ

アイ・ウェイウェイは謝らないの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

4.0
文化大革命で弾圧された詩人を父に持ち、天安門事件に衝撃を受けてNYから帰国した中国現代アーティストのアイ・ウェイウェイ。北京オリンピックに異を唱え、四川大地震で犠牲になった多数の子供の名を掲載する表現手法が中国当局に睨まれることとなる。

若い頃は所謂現代アートの目指している所が分からず、コンセプトを伝えたいだけなら言葉を発すれば良いんじゃないの?と思っていた。当時の自分からすればこの人は良くてパフォーマー、悪くて胡散臭い香具師と映っただろう。アイ・ウェイウェイ自身は描いたり彫ったりはせず、助手に指示を出して作品を作り上げる。助手曰く自分達は親分に命を受けた殺し屋のようなもの。そんな姿勢にポジティブな創造性を見出すことが出来るのかと疑問に思うかもしれない。

天安門事件以降、既存の芸術活動が実質死んでいて権力に対しての批評性を何ら持ち得ていなかったことを踏まえると政治的であることのアート性が見えてくる。社会に対して何の波風も起こさない絵や文章や音楽を放出した所で無価値とは言わないがどれほどの意義があるのか。なくてもただ生きていく分には困らない。だけど人を動物ではなく人たらしめていくのはそういうことじゃねーだろ。個人の内面に終始せず多くの人を巻き込んで膨れ上がるアートが非民主的な国で果たすものは特に大きい。

我らがニッポンでは「〇〇に政治を持ち込むなよ!」なんてことをさも正しいかのように口に出す人間が生息しているが、そうした物言いが如何にバカでアホで卑怯で無意味なのか分からせてくれる。こういうことを臆面もなく言える奴が増えたのが日本が非民主的な国に退化してる証明。東京ファッキン搾取オリンピックを2年後に控えた2018年の終戦記念日に合わせてAmazonが本作を100円レンタルのラインナップに加えたことが非常に政治的でアーティスティックであると感じる。

本作品でも言及されていた劉暁波は昨年亡くなり、アイ・ウェイウェイが主戦場にしていたツイッターが中国では厳しく規制されているのは有名な話。映画の製作時より中国が良くなっているとは思えないし、日本では極右集団が中枢に居座り続け民主主義の代表格だったアメリカのトップが品性下劣なバカになる始末。嫌になってくるよな。だけど10年やそこらである社会が劇的に良くなったりはしない。子供の頃から苦杯をなめ続け犠牲すら厭わないとするアイ・ウェイウェイの反骨心は目先の結果に囚われない未来志向が見て取れる。映画を愛好しているような人なら創作が一朝一夕には終わらない気の長い作業であることは良く分かるのではないかと思う。