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白痴のakrutmのレビュー・感想・評価

白痴(1951年製作の映画)
4.6
言わずと知れた19世紀ロシアの大文豪であるドストエフスキーの代表作『白痴』を、戦後の札幌を舞台に翻案した、黒澤明監督の恋愛ドラマ映画。戦犯として処刑されかかった体験が原因でてんかん性痴呆になってしまった男性・亀田を中心に、男女4人の恋愛模様が描かれている。

黒澤が傾倒するドストエフスキー作品の映画化ということで、監督本人の熱量が伝わってくるような迫力ある映像や舞台劇のような役者たちの演技に圧倒される。とにかく登場人物たちの目力が凄く、目での演技を楽しむ映画であると言える。また、ドストエフスキーの小説を全く知らなくても楽しめるストーリーは、当然といえば当然だが、とても充実していて、観ている者を飽きさせない。ただし、ややストーリー展開にぎこちなさ(というか非連続性)があるので、人によっては途中がちょっとダレるかも。

でも、それは黒澤監督のせいではない。監督自身が完成させたときには、前後2部構成で全上映時間が4時間半弱の大作であったが、長すぎて興行的に失敗すると考えた松竹の命令で、2時間46分まで再編集させられてしまう。激怒した黒澤が「どうしてもカットしたいのなら、フィルムを縦に切ればいい」と言ったというのは、とても有名な逸話である。おそらく、どうにか筋が通るように再編集したものの、スムーズなストーリー展開に必要な部分までカットせざるを得なかったのであろう。ちなみに、本作の前に公開された『羅生門』が、本作公開の4ヶ月後にヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞することになる。なので、本作がもっと後の公開であれば、このような大幅なカットにはならなかったのかもしれない。(まあ、松竹なので関係ないかもしれないが。)現在までに、カットされた部分は発見されていないが、どこかに現存していることを願うのみである。

本映画の中で最も注目すべき俳優は、やはり那須妙子(ナスターシャのままの名前が笑える)を演じた原節子であろう。今までの(というかキャリア全体を通じての)原節子のイメージとは全く異なるファム・ファタールぶりや、ふてぶてしい笑顔がとても新鮮で、なかなかイイのである。特に、本作の前々年には初の小津作品となる『晩春』で紀子を演じていた時期だけに、魔性の女という対照的な役柄は話題になったであろう。(ちなみに、小津安二郎は本作に対してとても否定的な意見を残している。)黒澤監督は『わが青春に悔なし』で起用した原節子をとても評価していて、『羅生門』でも原節子を起用したかったそうである。

原節子とともに注目すべきは、亀田という「白痴」役を演じた森雅之である。ニヒルな役柄を演じることが多いだけに、このような純真爛漫な役を演じている森雅之を見れるのは貴重である。いい大人が顔の下に両手を当てて微笑む姿は印象に残る。また、亀田をめぐって那須妙子と争う令嬢・大野綾子を演じた久我美子のエキセントリックな演技も見ものである。一方で、三船敏郎はそれほど強い印象は残せていない。俳優としてデビューしてからまだそれほど時間が経っていないころ(『羅生門』をきっかけにこれからスターダムをのし上がっていくころ)であり、その後の貫禄ある演技にはまだ程遠い。

さらに本映画を通じて、戦後すぐの札幌の風景、例えば、札幌駅前、ポプラ並木、中島公園(氷上のカーニバルが映っている)、雪まつりなどを楽しむこともできる。ちなみに、映画の中で大野邸として何度も映っていた洋風の建物は、作家の有島武郎の旧邸である。森雅之は有島武郎の長男であり、幼少の頃に実際にこの旧邸に住んでいたというのは、何とも言えない因縁である。
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