Yoko

ドレミファ娘の血は騒ぐのYokoのレビュー・感想・評価

ドレミファ娘の血は騒ぐ(1985年製作の映画)
3.6
 東京の大学に通っている先輩を尋ねに田舎からやってきた少女”秋子”。
手始めに訪れた吉岡が所属する音楽サークルの部室では大学生がセックスに興じていた。
呆然とした秋子は吉岡が所属する心理学ゼミ室で、人が恥ずかしがる心理を研究している教授の”平山”と出会う…。

 黒沢の映画制作における所信表明演説のような作品。
看板に記したり人物にしゃべらせたりするメッセージには「これからやってやるぞ!」という若さが滲み出る。
 詩的表現についてはゴダールとの関連になぞらえているレビューが散見されるが、私自身も概ね同意。
詩的な部分以外においても、タバコを「間接的に」渡すシーンなんかは『気狂いピエロ』のハサミのそれであろうし、ラストで川を背景にしてたのも影響を受けているであろう(天気が悪すぎる且つ鮮やかな海洋ではなくドブ川というスケールではあるが)。
「ド」がつくほどの下手な歌もそうなのかな?
 
 だからといって全てが難解というわけでもなく、伊丹十三演じる平山教授が論ずる恥の構造(肉体の恥じる部分を「隠す」行為は、肉体のどこが恥の部分なのか他人に「晒す」ことでもある)はとても分かりやすく親切だった。
メインストーリーにこの恥メカニズムの研究を置くことで、意味不明な演出に遭遇してもとりあえずその本筋に戻ることが出来て置いてけぼりにされることもない。
 監督としての知名度が高い伊丹の役者としての演技は、質屋にポップアートの価値を熱心に説明する役を演じた『伊丹十三のアートレポート』で観たことがあるが、彼の口から発せられる実験的なインテリ台詞は謎の説得力を持って私を引き込んだ。
それは今作においても変わらなかった。

 ブラームスのポスターをヌッと突き破る目玉や腕のなど画的にゾッとするシーンも多々ある。
『CURE』等で見られるサイレントな怖さには至らないが、その萌芽を見ることは出来た。
黒沢はなるべくしてホラー映像作家として成功したのだろうと再確認。
シュールな表現も多く結構笑えました。
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