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WOOD JOB!(ウッジョブ)神去なあなあ日常のkoheiのレビュー・感想・評価

4.8
《大人の階段の〜ぼる〜…》

大人と子供の境目ってどこなんだろう。「自分は大人だ!」と胸を張って言える人はいるだろうか。成人してもまだまだ僕は子供だな、とそんな事を日々考えていた中この映画を思い出した。そういえばこの映画は子供が大人へと一歩近づく話であるし、現代のゆとり世代と呼ばれる若者が、社会に認められ包摂されていく理想形を見せてくれていた。


大学受験に失敗し高校卒業後の進路も決まっていない平野勇気(染谷将太)は、軽い気持ちで1年間の林業研修プログラムに参加することに。向かった先は、携帯電話が圏外になるほどの山奥のド田舎。粗野な先輩ヨキ(伊藤英明)のしごき、虫やヘビの出現、過酷な林業の現場に耐え切れず、逃げようとする勇気だったが……。
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「大人になる」とはひとつ、"現在指向"から"将来指向"へと変化することだと僕は思う。
冒頭、主人公の勇気は、受験に失敗し浪人生になるでもなくただ適当に(下心ありで)選んだ林業という仕事に身を預ける。「今を楽しむこと」しか考えていないこの行動は、若者や子どもの特徴をよく捉えていてその問題性を計らずとも示唆しているが、これはまさに現在指向な生き方である。

しかし、彼が身を預けた林業という職は紛れもなく将来指向な仕事だった。
「良い仕事をしたか結果が分かるのは、俺らが死んだ後や」というセリフがあったが、林業の仕事で重要なのは伐採よりも植栽というものだ。すなわち木を切り続けるともちろん無くなってしまうので、将来のために植えて、また切って、また植えてを繰り返しているのである。植栽して伐採するまではおよそ100年以上かかるので、自分たちの仕事が生きているうちに認められることはない。将来指向を極めた仕事である。

勇気は、「これだからゆとりは…」と言われるようなある種代表的な若者像を成していて、すぐにこの仕事を離れようとするのだが、なんとか踏ん張る。(普通だったら辞めてしまうだろうけど、そうするとこの物語に先が無くなってしまうのでそこは愛嬌ですかね笑)

ここからの物語が素晴らしく、1人の若者が自然や大人に揉まれ「現在指向」から「将来指向」へと考えを変えていく様が描かれる。また勇気だけでなく、大人に見えていた伊藤英明や長澤まさみの演じる役も、子供を作ることや結婚を考えることで将来指向へと転じていく様子が描かれ、大人になるという事を感じさせる。

大人になるということは将来指向へと転じること。主人公の勇気は、林業という仕事にどっぷり浸かり、将来を深く考えることによって大人の階段を一歩登った。ラストはそんな風に見えるたくましい描写だった。

2015.7.28
2016.11.15
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