エクストリームマン

嗤う分身のエクストリームマンのレビュー・感想・評価

嗤う分身(2013年製作の映画)
4.2
You don't exist anymore.

主人公:サイモン(ジェシー・アイゼンバーグ)を追い詰めるためだけに緻密に組み上げられたような世界。ガラガラの電車で「そこは俺の席だ。どけ」と冒頭で主人公に言い放つ顔のない男、自殺専門のニヤニヤ嗤う刑事コンビ、愛想がないどころか注文を全て拒否するウェイトレス、何一つ実体のわからない、御簾の向こうで微笑む大佐……7年勤めた会社では誰にも、名前すら覚えられておらず、セキュリティゲートは正規のIDを弾き、挙句社員全員が強制出席のパーティーでは会場に入れてさえもらえない。そして登場する、自分と瓜二つの、社交的で誰も彼もに好かれる男。1幕目は、誇張され、抽象化されているとはいえ、切迫感に満ちた主人公の孤独と疎外感が淡々と強烈に描かれる。

そんな世界で唯一輝いて見えたのは、主人公が惚れたヒロイン:ハナ(ミア・ワシコウスカ)。主人公と同じ孤独を抱えているように見え、また狂った世界で唯一まともなように見えた。そんな彼女に話しかける勇気もないサイモンが、ある男の自殺を目撃したことがきっかけでダイナーでハナと食事をする場面がまた強烈。自殺した男が、実は自分のストーカーだったと告白するハナが、「陰から見つめているだけで気がついて貰えると思ってるの?愛し愛されると思ってるの?ありえない!」と捲し立て、その言葉がそのままサイモンに突き刺さるわけだけど、如何せん空気以下の存在感しかないサイモンが、自分の放った言葉でどうなろうとハナは当然気がつかないわけで。3幕目で主人公が自分の部屋を覗いていると知ったハナが一切動揺を見せず、「そんなことは知ってるしどうでもいいけど〜」と話を続けるところもまたエグいなと。ハナはサイモンが見て取ったような孤独を抱えてはいるけど、それでも所詮他人であって、彼自身の理想を全て叶えてくれる、汲み取ってくれるわけじゃないってところがリアルで残酷だ。物語の中でくらい、を許さない姿勢。

サイモンと瓜二つの「出来る新人」ジェームズにそそのかされて、ハナとサイモンがレストランでデートする場面は、結局サイモンと入れ替わったジェームズがそのままハナをかっさらっていってしまうわけだけど、普通の映画ならまさにあの紙吹雪の中で店中の人に祝福されている方が主人公なのに、サイモンはトイレの入り口から事態をただ呆然と見ているだけ。ジェームズとハナが何を話しているか聞こえないってギャグの場面で主人公を突き落としにかかる鬼の所業。

世界観は造形も含めて『未来世紀ブラジル』っぽい。80’sのレトロフューチャー感あるセットに日本のムード歌謡が流れる。砂色を基調とした画面はどこか間が抜けていて、滑稽で空恐ろしい。主人公が、結局は敗北してしまうというところもまた『未来世紀ブラジル』っぽいところかな。救急車のストレッチャーから身を起こすと、左にハナ、右には大佐が微笑んでいる。君=ハナ=大佐=世界そのもの に僕を見てほしい、見つけてほしい、見分けて欲しい、特別でありたいという希望は(瞬間的に)叶えられたように見えても、それが決して幸福な結末には見えないところが苦い味わい。全く同じ服を着ていても、サイモンとジェームズは殆どの場面で明確に違いがわかるよう演じ分けられ、演出されていたけど、終盤でその境が曖昧にされるようになっていて、結局あの部屋で手錠でベッドにつながれている方がサイモンだったのかもしれないとも思えてならない。