カルダモン

インセプションのカルダモンのレビュー・感想・評価

インセプション(2010年製作の映画)
4.2
巨大な映像実験に立ち会っているような、夢世界の構築と崩壊を浴びる。

夢の中に囚われてしまった妻を、夢から覚めさせるために『この世界は夢だ。覚めるには死ぬしかない』という〈インセプション=植え付け〉を行ったコブ(ディカプリオ)。目覚めた結果、現実さえも夢であると考えた妻は身を投げる。

妻殺しの罪によって二人の子供に会うことができなくなっていたコブは、サイトー(渡辺謙)から、ある人物の夢からアイデアを盗んで欲しいという依頼を受ける。受けてもらえるなら罪を払拭し、子供と会えるようにしてやるという条件で。

コブにとっては夢なら覚めてほしいと願う悪夢のような現実。寝ても覚めても克服できない妻の死。なんだかんだ複雑なものを捨て去って、結局はシンプルに家族と寄り添いたい。体温を感じながら普通に過ごしたい。だから夢だろうが現実だろうが実はどうでもよくて、ラストのコマが倒れるかどうかに意味などないんだろう。


10年前の公開当時は食傷気味で、世間が騒ぐほどにはハマれなかったんだけど、改めて腰を据えてみると、よく作ったなと感心することしきりでした。なにより複雑怪奇な夢のレイヤーを、たった2時間そこそこの映像作品にまとめ上げるってだけで相当な力だなと思いました。おそらくノーランは映像表現に絶対の信頼と自信を持ってるんでしょうね。すべてを言葉で説明しきるのではなくて、複雑なストーリーテリングを映像に語らせてしまう。映画のデタラメさ、若干の強引さも〈リアリティ〉でくるんで纏めてしまう。
夢の中で夢を見るって感覚はないからどんなものなのか追いつけない。その上、誰かの夢を共有するなんて想像外。だから観ているこちらとしては置いてけぼりなんだけど、なんだかそれでいいというか。訳のわからなさを含めて夢っぽいというか現実っぽいというか。

折り畳まれていく街や、無重力になるホテル、無限に立ち並ぶビル群などなど悪夢のような不思議な夢のディテールの数々。
現実と見まごうばかりの世界、けれども現実とはちょっと違う。記憶とか時間とか自分と世界をつなぎとめるものがいかにあやふやであるか。ノーランがずっと描いてるのはそれなんだろうね。映画がリアルな作り物って意味では、ある種の夢に近いものなのかも。


私にとって夢はもっとぐにゃぐにゃです。
見たい夢を自由に見られたら、って憧れはあるけどたぶんそれはつまんないんだろうな。