垂直落下式サミング

アクト・オブ・キリングの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

アクト・オブ・キリング(2012年製作の映画)
4.7
「殺人は許されない。殺した者は罰せられる。鼓笛を鳴らして大勢を殺す場合を除いて」
題材は、1965年にインドネシアで起こった大虐殺。100万人とも言われる共産主義者と華僑が、反共という名のもと無惨に殺害されたというもの。このような大量殺戮が、近代で、それもインドネシアという日本に近い国で行われたことを、この映画を見るまで知らなかった。
斬新なのは、そのアプローチだ。監督は元々、当事者のインタビューを通じて真実を紡ぎだそうと、被害者遺族の立場から彼等の口伝を記録するドキュメンタリーにしようとしていたが、軍による介入で思うように進まない。そこで加害者側にインタビューをして、当時自分がやった虐殺の再現をさせるという撮影を行ったのだ。
というのも、驚くべきことに加害者たちは喜んで撮影に協力したのである。彼等は地元の名手になっており、おそらくアメリカ人映画監督が話を聴きに来たということは、共産主義を打ち倒した歴史を褒めてくれると思ったのだろうし、また、当人たちの罪の意識というものが希薄で、実際に手を汚した感覚を忘れている状態なのだろう。
映画の序盤では、この映画の主人公となる好好翁アンワルさんがその取り巻きとともに、愉快に殺害方法を紹介し、ハリウッド映画のようにユーモアも忘れてはならないと、演出でしょうもないギャグを挟み込む。この場面の素人っぽさ安っぽさは正直おかしい。
しかし、映画が進み、演じることによって、当事者たちの忘れていた記憶がこじ開けられていく。殺害される側を演じ、拷問を受けるシュチエーションを体験する場面で、アンワルは急に黙り込んでしまう。記憶が鮮明に甦えるほどに、「俺は許されないことをしたのではないか」という気持ちが生まれ、罪を意識するほどに心に刻まれた十字架がジリジリと熱を帯びて、彼を苦しめる。そこで「尊厳を失う」と表現が出てくるが、この尊厳を奪われるということが、本当の恐怖を生むということが分かる。
普通の人が、普通の人だからこそ、ここまで残酷になれるし、また自分の行いを客観視した瞬間に、己のアイディンティティーまで揺るかざされ崩れ落ちてしまうのだと、人の持つ倫理観の脆さを思い知らされた。他者への共感能力や創造力の欠如こそ、最も重く罰せられる罪にむすびつくのであろう。