けんぼー

さよなら、アドルフのけんぼーのレビュー・感想・評価

さよなら、アドルフ(2012年製作の映画)
3.4
2020鑑賞134本目。
家族を託された少女の強さ、たくましさ、葛藤。やはり戦争体験は人を変える。

「ブラック・ウィドウ」公開に向けて、ケイト・ショートランド監督作品の予習。
第二次大戦時のナチスドイツの一つの家族を巡る物語。敵軍に捕まってしまった両親から家族を託された少女が、親代わりとしてたくましく戦争を生き抜いていく様子がリアルに描かれている。
原題は「LORE」。主人公の少女の名前である。このままでよかった気もするが、最初はナチスドイツを信じ、ヒトラーを信じていた少女が家族を守るための旅路の中で、ナチスやユダヤ人に対しての価値観が変わっていき、最後はゴリゴリのナチス崇拝の祖母に対して歯向かう。という、ヒトラーからの脱却という部分を邦題では表したのだろう。幸い、僕ら現代の日本人は戦争を経験したことがないが、様々な映画やドキュメンタリーでも語られるように、やはり戦争という極限状態は人間の価値観を変えてしまうのだろうとこの映画を見ても思った。
「ブラック・ウィドウ」と共通していきそうなのは「15歳のダイアリー」同様、「女性の葛藤」や「家族」というものの描き方ではないかと考える。
「15歳のダイアリー」「さよなら、アドルフ」どちらの作品も主人公の女性は行動力があり、生き抜く強さを持っている。ただ、女性ならではというか、男性と違うのは「一人では生きていけない」とどこかで知っていることではないだろうか。「バーズオブプレイ」でも同じような感想を持ったが、女性は群れをなすようプログラムされていると思う。それはもちろん身体的に男性に及ばないことも理由としてあるだろうが、人間結局は一人で生きれないし、団結した方が強いに決まっているということを、女性は本能的に知っているのではないだろうか。そして「家族」というのは最も身近な強いつながりで、女性、特に母親はそれを守ろうとした時にこそ強くなれるのだと思った。「15歳のダイアリー」では単純に一人で生き抜くための強さが表現されていたが、「さよなら、アドルフ」ではそこに守るべき家族が加わるため、より主人公の信念の強さが現れていたと思う。
「ブラック・ウィドウ」でもナターシャの腕っ節の強さだけでなく、ロシアでの「家族」との関係性が描かれることで、「さよなら、アドルフ」の主人公のような、また違う強さが表現されるのかも。そして「エンドゲーム」において、なぜアベンジャーズを家族と言ったのか。なぜ自分を犠牲にすることを選んだのかが分かるのかなあ。
女性の強さを描くのがケイト・ショートランド監督の作家性の一つなんだとわかってきた。それは物語的にも、画作り的にも。女性の視線や表情のクローズアップで表現していることが多い。
早くブラック・ウィドウ見たくなってきた。

2020/9/15鑑賞