まぁや

パラダイス 希望のまぁやのレビュー・感想・評価

パラダイス 希望(2012年製作の映画)
4.3
パラダイス 希望 3部作 第三章(完結)
テレサの一人娘、13歳のメラニーの物語。
第一作の『パラダイス 愛』で登場したメラニーは、常に携帯をいじって身の回りに無頓着なぼんやりした娘のイメージを持ってしまったのだが、ここにきて、実は情感豊かで美しい娘だったのだなぁと感心しつつ、彼女の恋に瞠目してしまった。

本作は夏休み期間をダイエットの合宿所で過ごし、そこで父親ほども年齢の違う中年男性に恋する心情を描いている。

ここでもまた、ふくよかな肉体が画面を埋め尽くすが、『愛』『信仰』では中年女性の貫禄のある肉体が圧巻だったのに対し、本作では思春期の肥満児童がやんちゃに日々を楽しんで、ふくふくした肉体が微笑ましくもある。

合宿所はスパルタ式で厳格な方針を貫いているが、彼らは萎縮することはなく、毎夜毎夜、部屋に集まっては心が弾けるのを止められないと言うように、お喋り倒してパワーを発散させている。
そんな日々の中、彼女は施設の保健医に恋心を抱くようになり、待ち伏せを仕掛けたり、いつしか積極的に彼に愛情を表現していくようになる。

保健医は彼女と意識的に距離を置きつつも、彼の側もメラニーに惹き付けられて困惑している様子が見てとれる。親子ほど年が離れても、性愛というのは求心力となって求めあう二人を急速に接近させる。

ところで恋愛に発展する前のメラニーと保健医(ジョセフ・ローレンツ)のやり取りがキュート。父と子がじゃれあうようでもあるし、思春期の男の子と女の子のような瑞々しさもある。メラニーが恋に落ちる要素はふんだんにあって、ことの流れがとても自然だった。
メラニーは心を解放して、何度も(正面から)保健医にぶつかっていく(ピュアな心が眩しくて、痛々しい様子も美しい)

だけど、大人である彼はちゃんとわきまえていた。彼女の自分に寄せる恋心が、ファザーコンプレックスに根差した類いのものであり、自分の中に父親の幻影を見ているのだと。彼の側に強烈な自制が求められたのだろうなと推察する。
人知れず、彼女の部屋に忍び込み、彼女の横たわったベットに身を沈めた様子や、森の厳かな朝靄のなかに、泥酔して眠り込むメラニーを横たえて、彼自身も隣に横たわって目を閉じるシーンなど。、、、森のなかのシーンはショッキングで印象的だった。あの時彼の中に駆け巡った感情はなんだろうか。
『希望』
メラニーにとっては初めて男性を心から愛し、彼と結ばれることこそが希望だったに違いない。一方、保健医は彼女の純粋な想いを汚さないよう、彼女の『希望』を叶えてあげなかったことが、彼の愛だったのだと思う。
13歳のメラニーが、将来この恋を振り返ったとき、罪悪感や痛みを伴って自分(父親の陰)を思い出すことのないように精一杯、彼女の希望を守ってくれたのじゃないかな。

後半、人を愛することの喜びと痛みを知ったメラニーは最初に登場したときのぼんやりした生気のない彼女とは別人に思えるほど、美しく命の輝きに溢れていた。母親に電話して泣きながらメッセージを残す姿には胸を打たれた。いつもうるさく思っていたけれど、本当はどんなときも母親は自分の味方で、無償の愛で自分を包んでくれていたことにメラニーは初めて実感をもって気がついたのじゃないかな。
あのシーンからテレサとメラニー親子の今後の温かな『希望』もじわじわ感じることができた。

『愛』『神』『希望』いずれも核をなすのは本能的な性愛における楽園の追求だったが、それらは霧散して散ってしまった。
だけれど、テレサ、アンナ、メラニーが再びあの静謐な家のテラスでお茶を飲むとき、、どんな会話が飛び出すんだろう。
三人の物語は進んでいく、というところに私は『希望』を見いだしている。
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