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大統領の執事の涙のNMのレビュー・感想・評価

大統領の執事の涙(2013年製作の映画)
4.5
冒頭から重厚感があり名作の予感。だが重いのに観やすい。

綿花畑に生まれた(つまり奴隷の子)セシルが、執事という職と出会い、運と才能で社会を生き抜いていく。
しかし彼の生涯は差別社会に翻弄され波乱続きで……。

ガラスを破ってケーキをむさぼるシーンはレ・ミゼラブルを思い出した。あれを読んだときにはなぜそんなすぐ捕まるような真似を、と思ったが、そういうレベルの話ではないことが映像を通して理解できた。
世界には人間扱いされずに死んでいく命がたくさんあり、それらの多くは誰にも知られない。

アイゼンハワー大統領の時代なので、ホワイトハウスに務め出すのは1900年前後だろうか。

「ホワイトハウスに政治はいらない」
とても印象的なセリフ。だがなんだか逆に、全てに政治が絡んでいるのだから注意せよ、という意味にも感じられる。
セシルは、学歴ではない知性や、謙虚さ、物腰の柔らかさ、いかにも人が良さそうな笑顔と言動で、「白人を怖がらせるな」という教えを見事に守っている。黒人ももちろんで、気の進まない給仕長にもすぐに認められた。他人に恐れを抱かせないのは人間関係で重要。

「空気になれ」と「相手の心を読め」とは一見相反していて、給仕はとても高度な仕事だと改めて知らされる。本当に何も考えずロボットでいては仕事は務まらず、機転が必要な場面が多いようだ。

セシルがホワイトハウスで初めてお茶の淹れるシーンは、短いがとても美しい。見ているだけでとても気分がよい。淹れたものを出すよりもその作業から見ていた方がより美味しく感じそう。

セシルも息子たちも、この社会で良いとは思っていない。その行動に違いがあるだけ。そのため、社会よりも一番大事な家族が危機を迎える。

長男ルイスはエメット・ティル事件に興味を持ち、南部のフィスク大学へ進む。
別れるときの家族の様子で、絆の深さが分かる。

フィスク大学では、シットイン運動が始まり、ルイスも参加、逮捕。父が呼ばれる。
一方副大統領ニクソンは執事たちに、黒人地位の改善を検討するから支援するよう言う。
思いは同じなのに行動が乖離していく二人。
こういう問題ではよく起こることだが、仲間うちでの意見や行動の割れがやっかい。完全一致すればいいが、そう上手くいかない。
ルイスはフリーダム・ライド運動へ。行先はアラバマ州バーミンガム。好きな女の子もいるし同志も増え、ますます運動に入れ込んでいく。
ルイスも恋人も、平和な社会に生まれていれば普通の人生を送っていたかもしれない。特に恋人は、初めと最後とではずいぶん人相も態度も変わってしまった。本当なら父親を継いで医師にでもなり人々の命を救っていたかもしれない。

ニクソンは破れ、ケネディが大統領に。だが想像していたほど悪い人ではないらしい。少なくともセシルにはそう見えている。お坊ちゃんと揶揄されていたが、その分ピュアなところがあるらしい。差別撤廃へ理解を示す。

だが暗殺され、ジャクソン大統領へ。なんだかいつもピリピリしていてケネディとは正反対。

その頃マルコム・Xが登場し、デモ中に血の日曜日事件が起きる。犠牲者を止められないジャクソン大統領への批判も増え、ついに公民権法(平等な投票を認める法)を制定。

キング牧師暗殺。
ルイスとキャロルを交えた食事会で、『夜の大捜査線』の話題が出る。「白人が受け入れやすい形で黒人の闘いを描いている」とは、この映画自体にも突きつけられる課題だが、敢えて言わせている。
ここでルイスとセシルとはついに絶縁状態。
長男ルイスはますます思想を激しくし、ブラックパンサーに入団。しかし非暴力を貫くルイスとキャロルはここで道を違える。

セシルの誕生日。ルイスからは金の無心の電話が、次男チャーリーは戦死の報せが入る。

レーガン大統領へ。
セシルは勤務20年となったが、黒人には昇給も昇進もない。勿論不満だが誰も変えられなかった。
だがついにセシルが大統領の信頼を得、待遇改善にこぎつけ、その功労を称えて晩餐会に客として呼ばれる。
そこで初めて給仕と客の両方を経験したセシルは、晩さん会の客にまでなったものの自分はお飾りでしかないことを実感。グロリアが、胸の開いたドレスが気になってきてぐっと上げるシーンが多くを物語る。

セシルはこの時から、ゼロからこの仕事を得て家族を養うまでになったのだというそれまでの仕事への強いこだわりを和らげていく。この仕事ではもういけるところまでいったという感触もあったかもしれない。
立派な仕事ではあるが、そのせいもあって息子を失った。

セシルは人生を変える決意をする。深い哀しみを抱えて育った彼は、憎しみを強さに変え、平和的に生きてきた。その分、変化を恐れてきた。
しかし早く、直接的に、社会を変えなければという決断をする。
長年のすれ違いが氷解する。この機会を失っていたら彼は晩年一人になっていたかもしれない。
オバマの当選は大ニュースだったが、黒人の人々がどんな思いで見ていたか、計り知れない。

観る前は、他の黒人と違って辛い思いをせず生きた男の物語かと思ったらその逆で、むしろその渦の中心で人生を翻弄され続けた人だった。一日中黒人としての立場を思い知らされる立場。勤めれば勤めるほど思いは募る。
非常に重い内容なのにまろやかに描かれていて誰もが受け入れやすい作り。特に一番悲惨なセシルの生まれについても比較的さくっと描かれている。キャリアを重ねていく間にも日々苦労があり、ストレスは絶えなかっただろう。字幕で観たが、吹替えならさらに観やすいだろう。

グロリア役オプラも終始良い演技。セシルと違っていつも一定ではなく気持ちは人生の出来事ごとに大きく揺れ動く。決して完璧ではないが、しかし結局は十分良き妻であり良き母であると感じさせる。

印象的な台詞がたくさん登場する。白人ではなくその狂気を憎め。執事は従属的な仕事と言われるが、勤勉に働くことで紋切り型の黒人像を変えた 高いモラルと威厳ある振る舞いによって人種間の壁を壊していった 彼らは戦士だ 自覚なしに。

私が彼らの立場だったらどうするのが正解なのか分からない。きっと彼らも各々考えながら様々な挑戦を続けた結果、現代的社会に習熟していったのだろう。もちろん世界はまだまだ成長は必要だ。彼らが職場以外で集まるといつも政治の話になる。無関心ではいられない社会ということ。

多様な音楽が登場し、どれも素晴らしい。

メモ
ドワイト・デビッド・アイゼンハワー……黒人学生の登校を陸軍に護衛させたリトルロック高校事件が有名。生まれは裕福でなかったが、軍で数々の功績を上げた。モットーは「物腰は優雅に、行動は力強く」。
フリーダム・ライド……人種によって席が分けられていた時代、黒人と白人のグループがバスに同乗しそれを破った出来事。KKKら差別者の襲撃に遭いながらも、最初のグループが敗れると次のグループが乗り込み、全米からの支援者も駆け付け拡大した。
ジョン・F・ケネディ……初のカトリックの大統領。初めてテレビ討論会を行い、大きな支持を得た。差別撤廃を訴え、1964年公民権法として成立。キング牧師釈放への関与も有名。
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