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午後の網目のTnTのレビュー・感想・評価

午後の網目(1943年製作の映画)
4.3
夢の探求を映像でそのまま表現したかのような幻想的な作品。冒頭の花を垂直に置く不気味な手は、初めて見た時本当にゾッとした。またいくつもの入れ子構造になった物語は文字通り網目のように複雑に絡み合う。そしてそれはちょうど午後にみる夢のように現実と夢をごっちゃにしてしまうことと似ている。白昼夢という言葉に近い映像体験。デヴィッド・リンチが大いに影響を受けたのも納得の作品。

 映像の探求精神はすごくて、重力も時間も空間も彼女にはたやすく操られる。他の作品では体系化しているが、今作品は詩的であり私的で、その後の作品を予感させる要素が多く見られる。

 自分の内的なものへの探求として、マヤ・デレンは映像を使用したと文献などに載っていた。自ら出演し、自らを撮るという行為がまさにそれだ。また他の文献には彼女がブードゥによるトランスをよく行っていたと書かれており、如何に精神、いやもっと奥深い魂への探求を彼女がしていたかがわかる。

 夢の構造はわりとシンプルであったりする。この映画にキーワードとなる花、鍵、ナイフ、電話、鏡は、主人公が日常に見た風景の一部なのだ。それらは夢に現れ、自身の中で意味付けされ、神秘性を帯びていく。もちろん、今作品には夢に対応する確固たる現実が無いので、夢が現実よりも先行していた可能性もある。だがのちにこうした見た風景の一部と夢の構図を、デヴイッド・リンチが「マルホランド・ドライブ」によってわかりやすく体系化している。また、鍵のモチーフはまんま「マルホランド・ドライブ」にも出てくるので、今作品への言及や影響が明らかなのがわかる。

 複雑な入れ子。これは実質サイレント的な映画で映像を説明する音声が一つもない。それ故にスローモーションなどの映像が普通の時間で進む映像と同じように肩を並べている(均質化)。また類似する物事の反復による錯綜、主人公の分裂がより物事を複雑化させている。反復や分裂は夢をさらに内省的に消化しようとする彼女の現れともとれそうだ。どっちにしろ、合理的に判断することを許さないようだ。今作品は、現実に夢が侵食したと思われる海のシーンがある。決して部屋以外のモチーフが出なかったのに、ある海のシーンだけ部屋に持ち帰られている。彼女の海というものへの根源的なものへの回帰は、彼女の現実に死をもって蝕んでいったのではないか。現実と夢が溶け合う危うさが今作品にはあり、またその混乱はとても人を魅了するように思う。実際のマヤ・デレンもかなり若いうちに亡くなっているのが、余計に今作品の危うさを増させている。

 女性とセルフポートレイト的な作品といえば、写真家のフランチェスカ・ウッドマンが思いつく。ウッドマンも自身をモデルにしつつ、そのある種夢幻的な写真を制作していた。それも驚くことに”部屋”がよくモチーフとされていた。部屋という空間と女性の親和性はいったいなんだろうか。彼女たちの内面や精神を表象するに最適な場であるのかもしれない。不思議な類似だが、残念ながらフランチェスカ・ウッドマンも早くに亡くなっている(こちらは自殺)という悲しい共通点を持つ。

 今作品のミステリアスさは、まさにマヤ・デレン本人と結びつき、その精神の深淵をさまよえることだろう。
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