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花咲くころの小のレビュー・感想・評価

花咲くころ(2013年製作の映画)
4.2
14歳の少女と銃という似つかわしくない2つを組み合わせて、銃は問題を解決しえないこと、高ぶった感情を昇華する芸術に世界を変える可能性があることなど、とても大切なことを伝えている映画。

ソ連から独立した翌1992年のジョージア(グルジア)の首都トビリシが舞台。内戦の傷痕深く人々の心はすさんでいる。2人の14歳の少女が主役。エカは父親が不在で、何かと干渉してくる母親と姉に不満を抱いている。親友のナティアはアル中の父親のため家庭が問題含み。

2人の少年から好意を寄せられるナティアだが、ナティアが好きな方の少年から弾丸の入った銃を渡される。その少年はナティアのそばにいてあげることができなかったため、お守り代わりだったのかもしれない。

銃を手にした彼女たちの反応はちょっと信じられないけれど、納得するしかないかもしれない。皆、余裕がなく自分のことで精一杯で、暴力や誘拐を目の当たりにしても助けようとする人はいない。自分で自分を守るしかない状況下において銃は強い味方であり、最後の手段として心の支えにもなり得るのだ。

ところが銃を持つと、苦境に陥ったとき知恵を絞ったり、他者と対話して問題を根本的に解決するよりも「いざとなったら自分には銃があるから」とさしあたり我慢してしまう。その我慢には限界があり怒りで我を忘れたときや、我を忘れていなくても目先の問題を安易に回避したいときに、他者に銃口を向けてしまう。銃を持つことの行く末は、憎しみが憎しみを呼ぶ、破滅への道なのだ。

銃がダメなら何があるのか。とある祝宴で、心に引っかかるものがあるエカは突然踊りだす。ワンカット長回しのとても印象に残るシーン。抑えていた感情の爆発を、銃に頼った怒りの表出ではなく芸術で表現した彼女は歓喜に包まれていく。

そして終盤、エカは銃とはどういうものであるかを理解し、さらに自分の心の中にある“銃”の存在にも気づき、それらを解決しようと行動する。

2015年末に観た『独裁者と小さな孫』のモフセン・マフマルバフ監督は次のように述べている。

<多くの人は負け犬のように生きざるをえないが、だからといって、銃で世界を救うことは絶対にできない。では、何があるかと言ったら、それは文化と芸術です。芸術は世の中に変化を起こすことができる>(産経新聞記事からの引用)。

当時、わかったつもりになって、よくわかっていなかったこの言葉、この映画にとても相応しい気がする。

●物語(50%×4.5):2.25
・銃が問題を解決しえないこと、芸術が世界を変える可能性があることが少しわかってきたかも。

●演技、演出(30%×4.5):1.35
・エカの踊り、良かった、とても印象に残った。少女2人演技も自然だった。

●画、音、音楽(20%×3.0):0.60
・これはというものは…。
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