ホウ・シャオシェンのお弟子さんが監督ということで。確かに人物を遠くから長回しで撮る手法や、ゆったりとした全体の雰囲気にその面影は感じたりもする。
あとはやっぱり本家ほどではないまでも、寡黙な語り口によるたっぷりの余韻。見方によってそれは突飛な展開という印象につながってしまうかもしれないけれど私的にはそうは思わなかった。
たしかに言葉足らずだよと感じてしまいそうなのもわかる。おそらく急にいい母親に生まれ変わる絵里子の変化が唐突だったり、珈琲店を開きそして去っていく岬の心境が語られなかったり、そんなところが原因なのかも。
要はバックボーンの説明がかなり割愛されている。絵里子はどのような経緯で子どもを産んだのか?「誰の母親でもない祖母」と自称する田中美佐子さんとの関係は?岬と母親はうまくいってなかったのかな。このあたりは要素のにおわせだけあって詳しくは語られない。
でもだからこそ「相手がわからない」という人間関係のあたりまえがストーリーに乗っかる。そのうえで気にかけ、寄り添いあってる関係性の尊さが増す。
境遇が特殊なため深い共感に至ったかと言われればそこまでではないのが本音だけれど、「誰かに必要とされる居場所がある幸せ」という普遍的なメッセージというか気づきについては充分に伝わった。
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また好意的な印象につながったのが、こういうスローライフ系作品で軽視されがちな経済的要素をきちんと描いていたところ。「絵里子の民宿にはきちんと民生委員のチェックが入っていた」「ヨダカ珈琲は通販できっちり商売を成立させている」このあたりをきっちり描写するかしないかで、脚本の余白が含みになるか説明不足になるかの印象はかなり変わると思う。