戦後ロシアから亡命しドイツに住む80歳を超えた翻訳家の女性に密着したドキュメンタリー。
ドストエフスキーの翻訳を90年代からずっと続けている。
彼女の経歴はやはりこの短い映像の中では理解が難しいだろうが、当時の背景について少しでも知識があるなら、どれだけ過酷な中を結果的に針の穴を通すようにほんとうに幸運に恵まれて生きてきたのかが想像できる。
スターリンの粛清、彼女自身はユダヤ人ではないけれどユダヤ人の虐殺、戦後ドイツの復興。どれをとっても想像は追いつかないほどの酷い状況だっただろう。
翻訳に対する姿勢は至って誠実さに満ちている。オリジナルの言語の構造や音感、小説全体の持つ意味やコンテクストを理解した上での個々の言葉の選択。言われてみれば当たり前にも思えるが、それらを忠実にこなすのはとてつもない労力と時間が必要だろう。
いわば命の恩人でもあったかつての敵国ドイツへの恩返し、あるいはドストエフスキーへの深い敬愛。そうした想いが老いてもなお彼女を突き動かす原動力に見えた。
ただドキュメンタリーとしては少し説明不足にも思えた。彼女の半生や祖国への想いもなぞる程度に簡素だし、ドストエフスキーとの関係性もあまり描かれておらず少なからず心残りが残った。
収録した映像を別の観点で編集をし直したらまったく別の作品が出来そうにも思う。