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フォックスキャッチャーのKKMXのレビュー・感想・評価

フォックスキャッチャー(2014年製作の映画)
4.3
 むぅ、しんどいガーエーでした。完成度は高く名作と言っても過言ではないかなと思いますが、いかんせん重苦しいですねぇ。実話ベースってのもキツかった。

 レスリング金メダリストのマークは、五輪後は困窮し、貧困にあえいでいます。マークの兄デイブもレスリングのメダリストで、彼はコーチとして成功しています。マークは貧困だけでなく優れた兄へのコンプレックスにも苦しんでます。
 そんな中、レスリングオタの金持ち・デュポンがマークを自分のチームに誘います。デュポンは自力で何も成したことがないカネにスポイルされたクズで、母親から承認されないコンプレックスを抱えていました。
 マークとデュポンは似たもの同士うまく行くかと思いましたが、所詮カネの関係。やがてデュポンは優秀で理論派の兄・デイブをチームに招き入れようとする…というストーリーです。


 なんというか、人生の勝者と敗者がくっきりと描かれておりましたね。そして、敗者は常に勝者に対して怨嗟も含めた複雑な感情を抱くものの、勝者は敗者の繊細な心性にはまるで無頓着という様子も描かれていたと思います。ちなみに勝者とはデイブで、敗者とはマークとデュポンです。

 なぜ彼らは敗者なのか。それはずっと強い力に庇護され続けて、自らの力を蓄えることができなかったからでは、と想像しました。つまり過保護ですね。過保護されたマークとデュポンはスポイルされて力をつけられず、力がなければ自分の人生を生きられない。
 本作では父と子という図式はありませんでしたが、エディプス・コンプレックス的なものが根底に流れていると感じます。デイブとマークは擬似父子関係でした。デュポンはやたらと武器や愛国心を誇示し、自分のレスリングチームの選手たちから父親のように尊敬されたがっていたため、父親的な存在への葛藤が示唆されていたように感じます。
 本作は強い力に抗えず、去勢されてしまった哀れな敗者の物語でした。


 マークは勝者たる兄デイブに庇護されてきました。デイブは人柄もよく理論家で家族にも恵まれている。しかもレスリングの金メダリスト。マークは人柄が暗く器用でもないため、デイブに勝る点がひとつもないです。なのでマークはデイブに反抗できない。
 そしてデイブのマークへの関わりは前述通り父親っぽい。マークが荒れたり、不調になっても彼が手取り足取りで回復させます。しかも、マークがデュポンのチームから去るときに、デイブはデュポンにマークへの経済的援助を要求しました。完全に過保護な父親です。そして、過保護な親は子どもの繊細な悩みに鈍感です。マークが何に苦しんでいるのか理解できない。2人の関係は結構残酷です。
 デイブがマークのメンター的な存在であればマークも成長したのですけどね。しかしデイブはマークに関わりすぎて、結果的に支配してしまう。そしてマークの成長を阻害する。たぶん22世紀くらいには過保護も虐待の一種とみなされるようになるでしょう。

 デュポンに至っては、庇護者は肉親ではなくカネです。カネに過保護されている状態。庇護の背景に愛情があるマークは生々しい感情の揺れがありますが、デュポンの背景には愛がないため、圧倒的に空虚で極端です。デュポンの感情には生々しさは感じられず、もっと砂漠的な印象を受けました。そして、マーク以上に渇望が強い。
 デュポンには母親がいます。しかし母親はデュポンを認めていない。レスリングを毛嫌いし、デュポンを無視します。デュポンは母親に愛されて、認められたいだけなのですが、それは不可能です。
 ここでカネの庇護がなければ、デュポンには自分を鍛えるという選択肢が生まれたかもしれない。母親の愛を勝ち取ることは難しいかもしれませんが、荒れながらも対等な仲間を見つけたりと人生を遍歴し、何かを掴んだ可能性はあります。しかし、デュポンはなんでもカネで解決できてしまう。自分の力で得たカネではないので、デュポンにはなんの自信も与えないのです。デュポンにとって、もはやカネは呪いです。


 このように同じ傷を持つマークとデュポンがタッグを組むと、一見うまく行きそうな気がします。しかし、カネが介在する関係だからどうしてもフラットにはならない。しかも2人ともスポイルされているから超不安定なんですよね。だから、問題が生じると堪えられず父親的存在を頼ってしまうのです。しかし、ここで父親が来ても同じ問題が繰り返されるだけです。
 クライマックスにおける悲劇は、敗者から勝者への強い怨嗟だけでなく、このパターンを変えたいというマークやデュポンの切望が極端な形で具現化したのかもしれません。


 本作の後半で、デュポンの母親が亡くなりました。彼女は乗馬を好み、馬をたくさん飼っていました。
 母親が亡くなった後、デュポンは馬を野に解き放ちます。デュポンの母親は、ずっとデュポンという馬の上に乗り続けていたと思います。デュポンが馬を解放したことには、本来暴馬ムスタングとして生きたかったが生きれなかった思いが込められているように連想しました。馬たちはゆっくりと歩いて何処かへと去って行きました。荒々しく走り去ることはなかった。デュポンの心にいたムスタングは、すっかり飼い慣らされて野性を思い出すことができなかったのでしょう。このシーンはあまりにも悲しかったです。
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