クロエちゃんの名前に惹かれて見た映画。彼女のファンとしては出番が少なくて残念ではあったけど、『タクシードライバー』のジョディー・フォスターみたいでよかったな。
監督のアントワーン・フークアって『トレーディング・デイズ』のひとなのね。娯楽映画としては安定の演出。
それにしても、こういう映画は悪役が重要なんだよね。そして悪役って、時代によって大いに変わってくる。今回はロシアのマフィア。まあわりと定番になってきたのかな。でも国際情勢を見事に反映してるよね。あいつらを悪いやつにしておけば問題ないということなのだろうけど、この設定、あと10年とかしてみると、はたして、どんなふうに見えるのだろうね。
ともかく、ロシアのマフィアの掃除屋で、もとKGBの秘密工作員っていう設定のもとに、まあ悪そうなニコライ・イチェンコとか、マフィアの親分のなまえがプーシキンとか(これぜったいにプーチンを意識してるよな)とか、これロシアの人が見たら気分悪くならないかなって心配しちゃうな。まあ、クンフー映画の日本の軍人みたいなものだと思えば、割り切れるのかもしれないけどね。
ともかく悪いやつは、クロエちゃんみたいな女の子に暴力をふるい、刺青だらけど、目つきも悪くて、実にわかりやすい悪人なのよね。
だから、釘を打ち込んで痛めつけてぶっ殺すなんてことをやっても、カタルシスになってしまう。そんなこと、ふつうにやったら、やったほうが悪人なんだけど、そうはならないところが、こういう映画の面白いところ。
なにせ進化論的にいうと、どうやら人間ってのは復讐が快感になるようにできているらしい。だって、ひどい目に遭わされて黙っているような個体だと生存の可能性が低いもんね。だから、ぼくらは復讐が快感になるようにプログラムされちゃってるわけ。
でもまあ、『ファイトクラブ』みたいに素手でやりあっているうちは大丈夫なのだけど、槍とか剣とか、飛び道具なんて持っちまうと、やっかいなことになる。実際、家族と家族が復讐合戦をはじめて、ひとつの村が全滅するなんてことはざらにあったようだ。
だから世界宗教は復讐を禁じてるんだろうな。「目には目を」で有名なハンムラビ法典だって、復讐を奨励しいてるのじゃなくて、その限度を定めていると言われる。なにせ人は復讐にかられると相手を八つ裂きにするだけじゃなくて、その一族郎党まで手にかけたりするわけだからね。
おっと、話がそれた。
言いたかったのは、娯楽映画の勧善懲悪ってのは、実際に復讐することなく、復讐のカタルシスを味わえるようにできているということ。
ところで題名なんだけど、『イコライザー』って、イコール(平等)にするってことだよねと思って辞書引くと、たしかに「教育はイコライザー」だっていう例文がある。なるほど、だからデイゼル・ワシントンはあんなに本を読むわけなのか。ところがもう少し辞書を読み進めると、おっと、米語には「銃」という意味もあるではないか。
なるほどね。《イコライザー》とは、人々の知的なレベルを平等に持ち上げる「教育」でもあるけれど、人々を等しく死者にしてしまう「銃」でもあるというわけか。