朧気sumire

チョコレートドーナツの朧気sumireのネタバレレビュー・内容・結末

チョコレートドーナツ(2012年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

※書き出しからラストのネタバレ。











引き離されたあとも二人を求めて放浪したマルコの最期が全てを物語っていて本当にもう……。
マイノリティへの差別はもちろんだけど、児童福祉の観点からしても本末転倒な結末に激しい憤りと失望を感じざるをえなかった。
戦う意志をへし折られておかしくないこんな悲痛を経験しても立ち向かおうとするルディとポールの姿が最後まで有ったのがせめてもの救い。

調べてみるとコレは実話から着想を得たフィクションなんですね。
それだったらハッピーエンドにも感動的にも出来ただろう中でこの物語にしたのは凄いとしか言いようがない。
本当に素晴らしいものは作品を介して作者の意思を感じるものであると言うけど、本当にそうだと思った。

自分は仕事と個人的な体験で運悪く親に恵まれなかった子供を結構多く見てきたことから「愛情の無い冷めた肉親よりも愛情深い赤の他人」という持論を持ってる。
子供に最も必要なのは「血のつながった女性(母親)と男性(父親)」ではなく「無償の愛情と絶対的な安心感をあたえてくれて、自分も他の人もみんな生きてるだけで価値のある尊い存在なんだと全身全霊で伝えてくれる大人」の存在。
後者の存在が欠けているんなら異性カップルでも同性カップルでもその間にいる子供は自分に自信を持って生きてはいけない。大人になったあとも。

ルディ、ポール、マルコの3人は見てくれこそ大多数の世帯と違っていても世間一般の家族と全く変わらない日々を送っていた。
それどころかマルコに必要なものをちゃんと与えられていたし、マルコも3人一緒にいる場所を我が家と認識していた。
何があるか分からない大海原で船が壊れそうになっても「あそこまで行ければ大丈夫だ」と思わせてくれる港のごとく。

異性カップルに育てられた子供と同性カップルに育てられた子供に差は無いと研究で分かってる現代でも、こういった制圧は絶対ある。
今の社会に生きていてこの映画を全くの昔話だと断じられない自分が恥ずかしく思う。

何気ないシーンながらも一番印象に残ったのはマルコの監護権を取り戻すために仕事をやめると申し出たルディにショー仲間(?)が「頭の弱い子を引き取った時決めてたのよ」と心無い言葉をぶつけてルディを怒らせたシーン。
系統は違っても世間からの差別と偏見に苦しむマイノリティ同士だってこんな心無い言葉を相手に言ってしまうのは現実でも結構多いから、なんとも言えない感慨を覚えた。
製作者たちのなにかしらの思惑を感じるシーンだ。
朧気sumire

朧気sumire