ジャン黒糖

フルートベール駅でのジャン黒糖のレビュー・感想・評価

フルートベール駅で(2013年製作の映画)
4.1
2009年1月1日、カリフォルニア州オークランドのフルートベール駅で22歳の黒人青年が白人警官に射殺された実在の事件を、『ブラックパンサー』『クリード チャンプを継ぐ男』のライアン・クーグラー監督が当時27歳で撮った感動作。
主演のマイケル・B・ジョーダンは本作の演技が絶賛され、一気に大ブレイク。

【物語】
逮捕歴のあるオスカーは、逮捕歴があるが彼女との結婚、3歳の娘の進学のため気持ちを改めて生きよう決意した矢先、生活の糧にしていたスーパーをクビになる。
稼ぎもなく、家族に迷惑かけてばかりのオスカーだったが、その日は大晦日。
彼女や仲間たちと共に新年の打ち上げ花火を見に行こうと電車に乗り込むのだった…。

【感想】
この映画が本国で公開されたのは2013年、事件からわずか4年のことだった。
自分は今回初めて本作を観たけれど、この映画が公開されてから7年が経っても、劇中で描かれていたような痛ましい事件がいまなお海の向こうアメリカで起きているという現実を、上手く受け止めることができていない。

本作で描かれる事件の警察官は起訴され、懲役2年を言い渡されたが11カ月で釈放されたという。
近年の#BLM運動で取り沙汰された事件も、当時の様子がSNSなどで拡散されたにも関わらず不起訴となったケースなどもある。

オスカーさんと同じオークランド出身で、本作の監督を務めたライアン・クーグラーはこの事件があった当時、同州の大学院映画芸術科に在籍していた。
この映画はその在籍時に撮ることを決め、オスカーさんの友人、同僚などの信頼を得ながら当時の状況をインタビューしながら、制作費の出資を募っていったという。

撮影が始まる前にも、フロリダ州で同じく黒人の若者が警察官に射殺される事件があったが、このオスカーさんの事件を、地元の同じ黒人として体感したことが、その後のライアン・クーグラーにいかに影響を与えたのかは、彼のフィルモグラフィーを見るに想像に容易い。

本作で批評家筋からも絶賛されたライアン・クーグラーは、一度は有終の美を飾った人気シリーズの続編『クリード チャンプを継ぐ男』、MCU初の黒人ヒーロー大作『ブラックパンサー』と、桁違いのホップステップジャンプで興行的にも批評的にも歴史的快挙を成し遂げた。
そしてその2作に通底するのは、「過去のシガラミや現実で起きている困難な壁は己の力で超えていく」ということである。

『クリード~』では、親の七光りとなることを忌避するクリードが、それでも消えない父から継いだ闘志と己の力で勝ち上がっていく姿が胸を打った。
ちなみに、Filmarksでレビューを始める前はブログで細々と記事を書いていた自分の当時の感想はこちら↓笑
https://jankokutou.hatenablog.jp/entry/%3Fp%3D703

また、『ブラックパンサー』ではクリード同様、父の存在にプレッシャーを感じながらも自身なりの”王”とはなにか、を見つけていく主人公はカッコよかった。
今年、その早すぎる死に誰もが驚いたチャドウィック・ボーズマン演じるティチャラはこの映画のラストで、国同士の対立を避け友好を進めていくために技術立国として支援していくことを表明する姿は現実社会に置き換えると重く、感動的だった。

どちらもエンタメ作としてもシンプルに楽しめるが、『フルートベール駅で』を観たあと、思い返してみると監督は一貫してこの現実世界を、映画というコンテンツを通じて本気で変えてようとしているのでは、と思った。

オスカーさんが亡くなったという現実は変わらない。
ただ、本作が世に残る限り、事件の痛ましさを忘れることはできない。
現実世界では、いまなお悲しい事件が続くが、肌の色や階級、コミュニティなどの違い同士が争うことなく、手を取り合えば世界はもっと良くなる。
そんな願いの初期衝動みたいなものが、この映画にはぎゅっと詰まっていた。

オスカーさんが亡くなるまでの1日を切り取った、とのことで正直若干「1日充実してね??」と思わなくもないけれど、そこはあくまで映画というパッケージなので、現実的なことは気にしない。
それよりも、監督の映画を通じた世界に対するアティチュードに一貫したものを感じ、観て良かった。

監督作すべてに出演しているマイケル・B・ジョーダンも、本作の不器用だけどどこか繊細で、貧しい現実を打破しようともがく姿は、そんな監督の映画作品に通底するメッセージとフィットすると思った。
だから全作出るほど信頼されているのかな。

ちょっと前の映画だけど、おすすめです。
ジャン黒糖

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