なっこ

グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札のなっこのレビュー・感想・評価

3.0
嫁いだ先での孤軍奮闘

おとぎ話のーhappily ever after.のその後を描く。結婚生活でつまづいて結婚式のDVD をひとり夜中に観るなんて、あるあるなんじゃないかな。

子育てしたことのある人なら分かるのかもしれない。ディズニープリンセス最強説。女の子はみんなお姫様に憧れる。だから王族との結婚も憧れでしかない。そのstoryは人を酔わせる。でも、現実はどうなのだろう。本当に王族に嫁いだ彼女の孤独を、現実的な結婚の孤独になぞらえて誰もが共感できる物語に仕上げているように見えた。そこにはヨーロッパ対アメリカという古くて新しい構図も見え隠れしている。

この時代の情勢に疎くて、どこまでが歴史的な事実でどこからがこうであったろう、というフィクションなのかその境目が曖昧だけれど、いつの世も、人々は王族に憧れるものだし、そういう選ばれし人々の生活は、華やかなものだと信じている。いつも見られる側の人のプレッシャーはきっととても大きいのだろう。

銀幕のスターから本物のプリンセスに。

人前に立つ、ということは変わらない。本当の自分であることよりも、国やその家族を象徴することの方が大事、その役割に目覚めていく様子を丹念に描いていく。

ある意味、結婚式という恋人たちのゴールから物語はスタートし、幸せの象徴であるはずの良き夫や愛しい子どもたちが、本当の自分に属するものだと思えなくなる過程の葛藤を描いているとも言える。妃の演じる結婚後のこんなはずじゃなかった感は、女性の多くの共感が集まるところではないかと思う。そこへやってきたヒッチコック映画の役の話。映画ファンとしてはそんな映画も見てみたいものだと無責任に思ってしまう。

映画は夢、そのもの。

コロナ禍で4月クールのドラマはどれも足踏み。次の7月クール始まりとなっていく現状に、ドラマや映画という物語に支えられて現実をこなしていた自分自身を認識させられた。彼女はきっとチヤホヤされたかった訳じゃない。愛には責任が伴うこともよく分かる。けれど、今も昔も変わらない映画という魔法の世界にもう一度帰りたい、そんな風に思ってしまうことは止められない。

始まりと終わりのシーンは繋がっている、その本当の意味はなんだろう。私はここに映画への愛が詰まっている気がした。映画には多くの人が関わる。カメラには写らないその枠外のスタジオには多くのスタッフがいる、その活気。それがひとりの美しい女優を作り出し、そして彼女を本物のプリンセスにまで伸し上げた。ミューズはここで目覚めた、そして現実の荒波の中でやがて本物になっていった。
洗練されたその後よりも、目覚めの時がいちばん美しかった、だって彼女を本物にしたのはきっと、映画という魔法だから。
なっこ

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