はる

マッドマックス 怒りのデス・ロードのはるのネタバレレビュー・内容・結末

4.1

このレビューはネタバレを含みます

映画館で見てよかった、最高にクールでホットでマッドだった。

従来のフェミニズム映画の文脈で語ることもできるが、LGBTなど広範囲なセクシャリティも視野に入れた、フェミニズム映画の一歩先を見据えた映画だと思う。超ド級エンタメ映画で、この世界観で、この価値観を描いたことがすごい。

女性性vs男性性の物語だが、女でもあり男でもあるといったふうのフュリオサこと、シャーリーズ・セロンの説得力ったらなかった。マックスの脳筋ぶりにも大いに笑わせてもらった。

知的だがワガママ放題の女たちは「いかにも女」で、滑稽でもあり、醜悪だが合理的なイモータンは「いかにも男」で、ありとあらゆる力を振りかざす。

理知的で腕っぷしも強い、感傷的だが切り替えも早い、良いとこどりの特性を併せ持ったフュリオサがこの世界で頭角を表すのは当然のことで、
また、女たちに性的興味を示さないマックスは、この世界ではホモのインポ野郎と罵られてもしょうがないが、だからこそ嬲り殺しにあわずに彼女たちとの同行を許されるのであり、
女性性を押し殺して生きる女性や、男性性に欠ける男性を肯定する存在として、それぞれ光っている。

シャーリーズ・セロンが提示しているのは、例えば、アンジェリーナ・ジョリーが公私に渡って確立した「強くてセクシーな女カッコイイ!」というハリウッドセレブ的価値観の女性像ではない。むしろ中性的な魅力をこそ肯定している。単なる女性讃美の映画ではないことに留意すべき。

フェミニズムの主張でいくと、女性性を押し殺した男性的な女性、男性化した女性が、男性社会で成功を収めたとしても女性が活躍していることにはならない、という論理になるのだが、

実際にそういう女性がいる以上、その生き方を否定していいはずがないし、もはや男女の二項対立だけを主眼において人権をとく時代でもない(現代のフェミニストはそのあたりも踏まえての主張をしています、念のため)。
LGBTの存在が当たり前になりつつある今、中性的というか、両性具有的な在り方が肯定されていくのは時代の必然だろう。シャーリーズ・セロン、このフュリオサ役でアカデミー賞、ノミネートくらいはしてほしいところだ。

フュリオサとは対照的に、無性別的に描かれるウォーボーイズや、性差などあってないような被支配層の人々や、どこまでも「母」扱いの母乳要員の女たち、「母の母=祖母」である産婆の女、「グレートマザー」としての鉄馬の女たちなど、ジェンダーやフェミニズムについて、かなり意識的に、狙って人物配置して作られていることがわかる。「妊婦」の扱いなど、妊娠中の女性には刺激が強すぎる描写がされているのだが、おぞましいのは、こういう男が現実にいるということだ。

そうそう、イモータンは美しい妃たちを民衆に見せびらかさないんだよな。美女が伴侶であることを自慢しても仕方ない世界なのだ。なんというディストピア。一方で、女たちからしてみれば、イモータンの妻になれば、性は奪われても生は保証される…いやでも、待っているのは母乳要員として壁に繋がれる人生で、どっちにしろ憧れはしないな。なんというディストピア。水だけが権力の証。身を立てるスベは武力とクルマだけ。

ここまで徹底して、道具扱いされる女たちについて描くなら、まだ子供が産めない=まだ生理が来ていない少女たちが、どのように生きているのか、生まれたのが娘だったらどうなったのかということにスポットが当てられても良かったと思うのだが、そんな「ストック」が存在しないからこそ、イモータンは逃げた女たちに執着したのだろう。なんというディストピア。

家父長制に対して女たちが反旗を翻すフェミニズム映画的体裁をとりつつ、道具扱いされる男たちの代表・ニュークスの変化や、一度突破した谷を塞ぐ、処女膜再生のメタファーなど、セクシャリティの回復を示唆した物語になっているわけだが、フュリオサのセクシャリティを作中で明示しなかったことに、個人的には最も好感を持った。というか、その点こそが、この映画の真価であると思う。

続編の製作が決まったそうだが、これでフュリオサが平和な暮らしのなかで「女に戻って」いたらヤダなあと思うのだ。それでは従来のフェミニズム映画と変わらない。フュリオサには幸せになってほしいが、個人的には、子供が産めないまま、中性的なままでも幸せになれるという姿を見せてほしい。でも、子孫繁栄が求められる、あの世界の価値観では無理か。

今度はアマゾネス化した強い女たちが支配する世界を舞台に、男たちが反乱を起こすも、生き残りのウォーボーイズ始め、子孫を残せない存在である中性的、無性的な人間たちが起点となって真のバランスをもたらす、という展開で、既存の価値観を完膚なきまでにブチ壊してほしいところだが…

まあ、無理かな。時代が追いついたとしても、なにも『マッド・マックス』シリーズでやらんでもいいわな。

『マッド・マックス』ならこんなことも描ける、と提示したわけだが、自然と予算が集まるだろう次回作こそ、なんにも考えないで良い、アクションに期待。

あ、そうそう、最後の、なんか見覚えあるなと思ったら『ハンニバル』のヴァージャーの最期か。スッキリ。