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マッドマックス 怒りのデス・ロードのMOCOのレビュー・感想・評価

4.5
「希望は持たぬことだ
心が壊れたら、残るのは
『狂気(MAD)』だけだ」

 砦の地下水をコントロールし、砦の住人を支配する独裁者イモータン・ジョーからガスタウンに向かいウォー・タンク(ガソリンタンク車)にガソリンを満タンにして帰ってくる命令を受けたフュリオサ・ジョ・バッサ大隊長(シャーリーズ・セロン)はイモータン・ジョーが監禁している5人の若い妻を砦から脱出させるため秘かにウォー・タンクに乗せ、フュリオサが幼い時に拐われてきた自然の美しい「緑の地」をめざしたが「緑の地」はすでに汚染され無惨な土地になっていた。
 あるか判らない緑の溢れる土地を求め、再び旅に出たフュリオサ達にマックスはイモータン達主要メンバーが留守にしている砦を奪い取る話をもちかけるのだった。
 砦こそフュリオサが求める豊富な水が溢れる緑の土地だった。それは裏切ったフュリオサに怒り狂ったイモータン達が向かってくる、来た道を引き返す途方もない『いばらの道』だった。

 多くの人が絶賛する「マッドマックス 怒りのデスロード」なのですが、何故か何かが違う気がして素直に楽しめないのです。すでに何回も観ているのですが何かが引っ掛かってレビューが書けないでいたのです。
「マッドマックス」「マッドマックス2」とは違う面白さを感じるのですが、何かが引っ掛かっていたのです。
 確かに「マッドマックス」「マッドマックス2」はマックスの出演シーンで何度も観返したところがあったのですが、今回はそんなシーンがないのです。
 すでに「サンダードーム」に別物感があったのですが「怒りのデスロード」はやはり別物、ここにレビューは書けない・・・と思っていたのです。別にトム・ハーディのマックスが嫌いなわけでもないのですが・・・。しかしFILMAGAの以下のような内容の特集記事が解決してくれました。

 Mad Max Fury road は直訳すると「気狂いマックス 怒りの道」です。
 シャーリーズ・セロンが演じた「フュリオサ(Furiosa)」はラテン語で「怒れる女性」を意味しています。その語源はローマ神話復讐の女神の名「フリアエ」です。
 Fury (フューリー)=怒りは「フリアエ」を語源として持っています。つまり「フュリオサの道」と言い換えられます・・・。

 そうなのです。シャーリーズ・セロンの出演シーンには観返したシーンが沢山ありました。この映画主人公はシャーリーズ・セロンなのです。イモータン・ジョーを地獄へ送ったのも、住民を幸福に導くのも、シャーリーズ・セロン演じるフュリオサなのです。マックスは脇役、サブキャラなのです。何だかスッキリしなかったのはここにあったのです。脇役のマックスを主人公として観ていたことに違和感があったのです。それが解ってこの2日間で2回観たのですが砂漠のカーチェイスは大迫力。本当にスッキリ楽しめました。

 ところでトム・ハーディのマックスが走る姿は何だかドン臭そうに感じません?

 
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