ベルサイユ製麺

ハーフネルソンのベルサイユ製麺のレビュー・感想・評価

ハーフネルソン(2006年製作の映画)
4.1
ライアン・ゴズリングが自分にとって特別な俳優になったのは『ドライブ』…ではなくて『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』から。いつもドン底の淵の周りを、自分の踵を見詰めながらヨロヨロ歩き続け、生気のない顔で微笑む。それでもサーカスのピエロの様に決して落っこちはしないのだと思い込んでた彼が、『プレイス・〜』では文字通り落っこちてしまったよ‼︎おい!
で、それ以来、ゴズリングは“自分より先に落っこちてみせてくれる”人になったのです。最悪な時に、希望の様な顔をして近づくモノを疑う習性も彼の演じるキャラクターから(反面教師的に)学んだ気がします。
つい最近目にしたツイートで、ゴズリングの抱えていた障害を知り、もうこれは、一生彼の仕事を見続けていくしかないなと決意を新たにしていたところで、非常にタイムリーにソフト化された過去作を観る事が出来たのです、が…。

これは辛過ぎる。
鑑賞中ずっとあちこちの神経がビリビリと痛みました。まるで身体を裏返されたみたい。
いつもチンピラ風情を演じるゴズリングは恰もヒビだらけのガラス瓶。投げつけられれば派手に飛び散る事も意に介さないといった風に見えるのですが、今作の彼はまるで気泡だらけの瓶の出来損ない。何も入れられない。投げつける価値すら無い。
教壇で理想を語りつつ、でも依存症の自分とは向き合えないままで、益々頭と心が乖離していく。止まった表情で卑屈に微笑むだけ。…これはまるで鏡を見ているみたいだよ。
自暴自棄で孤立していく彼と、彼を心配しつつ地元のコミュニティに取り込まれる彼の生徒の少女。お互いを助けたいのに、助けられ方を知らないまま、同じ淵の底へ。それぞれが錐揉み回転で落下中、ばったり目が合う最悪の瞬間。速すぎる落下には涙が追い付いて来ない。…その感覚もよく知っています。
ゲットーの黒人が、まるで進級でもするかの様な気軽さでプッシャーになってしまう事も、重度の依存症患者がレコード針の様に同じ溝を回り続ける事も本人にはどうにも出来ない事なのに、彼らは救いの手の代わりに相互の存在に依存している。なのに、『コカイン中毒者に友達はいない』とは…。

作品としては見た目の変化に乏しく、繊細すぎるが故に伝わりづらいという事もあると思いますが、自分の事を上手く愛せない方や他人の痛みに感応し過ぎてしまう方には是非観ていただきたいです。勿論、ライアン・ゴズリングが好き!というだけでも一見の価値はあると思います。価値の無い出来損ないの器を、心の奥にそっとしまっておく事で、彼の演技は誰よりも蒼白く輝いてみえるのではないか、なんて思ってしまいました。(完全に個人的な思い込みです!)鑑賞後、ライアン・ゴズリングの事は益々好きに、そして屈折した自己愛は更に深くなってしまいました。はは…。

監督の作風がとても肌に合ったので、他の作品もチェックしようかと調べてみたのですが、次回作はなんと『キャプテン・マーベル』!きっと面白いに決まってますけど、なんだか寂しいなぁ。