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札幌オリンピックのニューランドのレビュー・感想・評価

札幌オリンピック(1972年製作の映画)
3.0
1972年始め、『沈黙』がいろんな賞の栄誉に包まれ、札幌オリンピックの公式記録映画の監督に指名された篠田は、これからの日本映画を中心となって牽引してゆく、と少なからず予想された。しかし、本作は叩かれたという以前に、話題にもならず、そのまま篠田もメインストリームの作家ではなくなっていった(『東京オリンピック』の後沈黙状態に入った崑と違い、実作から離れたわけでもないのに。)。私も勢い本作は観ようともしなかった。しかし、今日、バームバックの新作を見た後、夕方からの仕事までポコッと時間が空いてしまった。
確かに、焦点の定まらない映画である。元々、大島や喜重に比べると、篠田の力量は一段低い所にあったが、『暗殺』『乾いた花』等を経ての、『心中天網島』『無頼漢』は傑作と呼んでいいものだった。しかし、『沈黙』の時点で、原作を改悪したという以上に、少しはあった才気を完全に失っていた。しかし、本作の混乱はそれで説明出来るものではないだろう。速く長いパンニング、富岡多恵子のものか岸田今日子による童心の詩、一般人の日常会話やマスやアップでの会場の観客反応入れ、競技の実況や解説、北海道の風土とアイヌの音楽、空撮や高い所からのフォロー、決まったアングル切替えとスピード感、スローや静止画やモノクロや選手と白鳥のOL、箱根駅伝ランナーを目指してた監督自身のインタビュー、等がウロウロしてくかんじだが、何十時間のラッシュでも全カットを記憶できるという作者にしては、実際に撮影を指揮できた所は少ないとはいえ、モンタージュも冴えず、パターン通り、敗者笠谷の部分だけ妙に共感と関心・美学・力を抱いている、それは作品を離れて魅力的である。映画監督引退後の講演を聞いたことがあるが、喜重らに比べ明らかに自分のスタンス・自作・映画への執着が薄く、かつて近松を研究していて河原者文化の著作もあるこの人は、(反)アカデミックな文化一般への造詣を示す話の方は説得力・魅力があった。本作にせめて武満が筋道をつけていてくれたらと思う、佐藤勝ではまずい。彼を映画に繋ぎとめてたは、武満・寺山・粟津といった自分よりデカい文化を感じさせる核を持った者との交流・インスピレーションであり、そこから平明な普遍的でもある美学を発展させていったと思われるが、この頃には娯楽性・ハッタリも必要な広い映画のフィールドは繋ぎ止めきれず、少なくとも映画作家としての必須の狂気はなくなっていたと見るべきか。作家特有の怖い執着のない人で、文筆・講演に主力を早くから注いでいた方が、と想ったりした。『沈黙』も作家としてより、広く公平な文化観からあんなラストになったのだ。そういう資質を考えれば、一概につまらない作品でもなく、面白く見れないこともない。
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