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太陽の少年のkoyaのレビュー・感想・評価

太陽の少年(1994年製作の映画)
4.5
『紅いコーリャン』『芙蓉鎮』などの男優、チアン・ウェン(姜文)が初監督した映画であり、この映画で少年を演じたシア・ユイ(夏雨)は、当時17才でヴェネチア国際映画祭の主演男優賞をとりました。
中国での金馬賞でも、監督賞ほか、賞をたくさんとってしまったって・・・・俳優出身の監督の初監督作品でこれだけの事ができた、というのが凄いことだと思います。

 観てみると、初々しさというものが全くなくて熟練・・・すら感じる完成度の高い映画。
まず、設定は1970年代初頭の北京。文化大革命の最中なのですが、大人の男たちは、労働や下放で地方に行っていまい、北京の街は子供たちが自由にのびのびとしていたのだ、という目のつけどころがいいです。
大人たちの目の届かないところで、走り回る子供たち。

 シャオチュン(シア・ユイ)は仲間たちとつるんでは、遊びほうけていて、家になど寄りつかない。
そして、合い鍵を作る事が得意で、留守宅に入りこみ、盗みはしないけれど、他人の家の中を歩き回ったりしている。
そんな時入りこんだ家・・・・壁に水着を着たキレイな女の人の写真がはってあり・・・目を奪われてしまう。
その写真は部屋の住人、ミーランという女の人でした。

ちょっとふっくらしているけれど、目がぱっちりしていて、ハキハキと自分の意見を言うミーラン。
キレイなお姉さん、ミーランに近づきたいあまり、色々な手を使うシャオチェン。

 この少年、シャオチェンが本当に、イキイキとしていて、くるくると変わる愛嬌のある表情、するすると猿のように家の屋根に登り、すたすた~~~っと屋根の上を走る。ちょこまかしている様子が実に可愛げがあるのですね。
この映画は暑いひと夏の物語であり、その暑さの出し方も風景から、子供たちから、ミーランが水で髪洗うところから、季節感も実によく出ていました。

 ひとことで言えば、「夏の思い出」というジャンルなのですが、シャオチェンはミーランとつきあおう、とは思わない。
「お姉さんになってください」なんて言うのです。性的なものよりも、キレイなお姉さんと一緒にいたい、という子供の気持ギリギリスレスレ。

 最初は、相手にしなかったミーランも可愛いシャオチェンに慕われると、まんざら悪い気もしなくて、「いいわよ、お姉さんになってあげる」
嬉しくて、仲間に紹介してしまうシャオチェン。
でも、仲間と親しくなってしまうと、僕のお姉さんじゃなくなってしまう事に後から気付くのです。

 仲間たちは、プールで泳ぐ。ミーランと距離が出来てしまった、しかも仲間の兄貴分とつきあう事になってしまったシャオチェンを、元の仲間たちは仲間はずれにする。
高い飛び込み台から、飛び込むシャオチェンが水から出ようとする頭を足でこずくのが、水中から描かれていて、その拒絶がとても怖くて美しい。

 閑散とした街には、女子供しかいない。そんな中にクルクルという知恵遅れの少年がいて、いつも木の棒の木馬にまたがっている。
シャオチェンたちはクルクルを、仲間にはしないけれど、いじめもしない。
むしろ、クルクルをいじめるグループには喧嘩をふっかけるのです。

 そして、ひと夏が終わり、それぞれがそれぞれの道を歩む。もう、つるむことはない。
現代になって集まった仲間たち。

 シャオチェンを監督したチアン・ウェンが演じていますが、車に乗っていると、歩道にクルクルが昔のように木の棒にまたがって、「よお~~~」と声をかける。

 クルクルが、あの夏の象徴だったのでしょうか。無垢で、怖いもの知らずだった子供の頃に一瞬にして戻り、また現実に戻る。
木の棒にまたがるクルクルの一瞬の姿をとらえたシーンがとても印象的。誰ともつるまず、ひとりで楽しんでいたクルクル。
大人になって変わってしまった仲間たちとは対照的ないつまでも変わらない永遠の少年。

 太陽の少年というのは日本語タイトルですが、本当の太陽の少年はクルクルだったのではないか、と思います。
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