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ペレ 伝説の誕生のアラジンのレビュー・感想・評価

ペレ 伝説の誕生(2014年製作の映画)
4.0
ワールドカップ1958年スウェーデン大会(第6回大会)でブラジルをW杯初優勝に導いた17歳の天才エドソン・ナシメント(通称ヂッコ→ペレ)のサクセスストーリー。

自国開催の1950年ブラジル大会(第4回大会)では優勝候補だったが、ジンガ(カポエラの格闘技の基本技)という奴隷制度を経た先人からのスタイルは時代遅れで組織化されたフォーメーションサッカーには通用しないことが露呈され、優勝を逃し低迷期を迎える。(少年ヂッコ9歳時)
ブラジル人にチームプレーを教えるのは困難と揶揄され、ジンガを禁じられフォーメーションや戦術理解を求められる時代へ。

ペレというあだ名は有名選手名を間違えて発言した事から、後にブラジル代表のチームメイトとなる欧州かぶれのイタリアにルーツを持つ金持ちのジョゼ(通称マッツォーラ)に幼少期に冷やかしで呼ばれるようになった事が発端で気に入ってはいなかったが、元プロ選手である父親に「自分自身を恥じるな」と説かれたジンガスタイルと共に賞賛を得た愛称として受け入れる。
15歳でサントスに入団し紆余曲折を経てジンガスタイルで大活躍し16歳で代表に招集され17歳で迎えたワールドカップにおいて、自身のジンガスタイルにチームメイトが連携し融合した事で開催国で優勝候補筆頭の北欧の巨人スウェーデンを決勝で下しところまでの実話。

その後ペレは3大会(58年・62年・70年)で優勝に導き王国ブラジルの礎を築き、サッカーの王様と呼ばれる伝説となるのであった。

サッカーの王様ペレの生い立ちを知れたし、脅威の身体能力は父親(1試合でヘディング5ゴールの記録保持者)譲りであり、マンゴーを用いた特訓があったとは面白いね。
ペレ本人もカメオ出演していてるし、ワールドカップイヤーに鑑賞するに値した作品でした。
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