レインウォッチャー

インヒアレント・ヴァイスのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

インヒアレント・ヴァイス(2014年製作の映画)
4.5
リコリス・ピザを待ちながら③

1970年のある夜、LAの私立探偵ドック(ホアキン・フェニックス)の煙った部屋に元カノ・シャスタ(キャサリン・ウォーターストン)が幽霊のように現れ、助けを求める。

ブルーな夜の中、彼女を見送るドック。すかさず滑り込んでくるのは、錆びた鉄板に粗い砂つぶをざらっと流したようなCAN『Vitamin C』のビート、ひしゃげたデッドなシンバルの音と同じくしてネオンめいたタイトルが画面いっぱいにズバン!と出る。

うわあ…切れ味。正直ここだけで悶絶である。
現時点、「タイトルの出しかた選手権」オールタイム2位。(※1)

上記のような導入はノワール映画のマナーに見えるし、事実、探偵ものなわけだけれど、一筋縄ではいかない今作。なにせこのドックという男がマリファナ中毒のヒッピーで、常にラリっているからだ。
どろりとした、でもちょっと夏場の小型犬のような愛嬌のある目、舌に分銅を括り付けられたようなおぼつかない話し方、そして汚ねー足。(ホアキンのハマりぶりがさすが。)

彼の見る景色は現実なのか幻覚なのか?定かではなく、その捜査もまた進んでいるのかいないのか。人に話を聞きに行けば別の人と場所が紹介され、またさらに、といった具合でどこかスピリチュアルな導きすら感じる道行き。そしてすべては柔らかく透明な糸でつながっている…。
えーっと一体何を追ってたんだっけ?となるし、やがて落ち着いた場所さえも、あっれーこれでよかったんだっけ?となる。

ドックは、イコールわたしたちは、明らかに翻弄され、さまよう。しかし、これこそが正しい『インヒアレント・ヴァイス』ライドだと思う。
これは原作から忠実に引き継がれ、再現されたリズムだ。

原作(『LAヴァイス』なる邦題がついている)はトマス・ピンチョンによる小説。
ピンチョンは難解といわれることの多い作家だけれど、実はエンタメ性もすこぶる高いと思う。ただし、異常な情報量で圧殺してくるタイプ。
会話はみるみる脱線し、TV番組、映画、音楽、時事、スポーツ…などカルチャー用語の嵐、そこへさらに人物や団体、店や料理の名前(実在と架空がシェイクされている)が続々と盛られる。

正直なところ、わたしには書いてあることの半分もわからないけれど、このパンチドランキングな酩酊感が何よりの魅力で、「ノリかた」を覚えるとぐいぐい読める。
現実のLAの上に薄く被さった別の世界の上を歩いていて、たまにほつれから転げ落ちて出入りするようなトリップ感。この物語にはビーチ、サーフの文化も深く関わっているけれど、まさに「波に漂う」感覚には近いものがある。

映画版では500ページ強ある原作からうまくマイルストーンを抽出し時には並べ替え、オリジナルのエンディングを用意するなど、より物語としての起承転結をキープして軽妙なハードボイルド映画っぽく見せている。
しかし、それでも上記のようなムードを損なうことなく持ってきているのが素敵。

古いレコードジャケットのようなざらついた映像はLAの明るすぎる光と濃すぎる闇を伝え、何か特殊な「それっぽい」映像トリックなしにマジックリアリズム体験を表現している。こんなに本当の意味で虚実の境界が溶けている作品は珍しいのではないだろうか。

ドックや周囲の人物の振る舞いは享楽的にも見えるけれど、時は1970年、サマー・オブ・ラブの死。
幸福な時期はゆるやかに終わりを告げて、チャールズ・マンソン一味によるシャロン・テート殺害事件やベトナム戦争の醜泥など、酔って忘れるには深すぎる傷に陽射しが脅かされている。

ドラッグやサーフ、ヒッピーカルチャーにしがみつく姿はその逃避、精一杯の抵抗なのかもしれない。
未だにこの時代に立ち返る映画作品は多いけれど、アメリカという国がある種の敗北を自覚した大きなターニングポイントの一つだったのだろうか。
Inherent Vice =内在する瑕疵とは、劇中では保険用語として説明されるが、同時にこのうごめく不穏を表してもいるのだろう。

しかしわたしは今作をとても幸福な後味の作品、と認識していて、それはひとえに中盤のかけがえなく美しい「雨のシーン」のためだと思う。
マリファナを渇望し、ウィジャ・ボードの託宣に従ってスコールの中を裸足で駆け出すドックとシャスタ。行き着いた場所は空き地で何も見つからなかったけれど、二人はくるまるように身を寄せ合って、笑う。ニール・ヤングの『Journey Through the Past』がやさしく流れる。

何度も観てしまうし、いつもすこし泣いてしまう。
幸せな思い出を振り返る儚さ、それはもしかすると「内在する美徳」なのかもしれなくて、この映画そのものの鏡写しになっている。

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映画の語り部役となる、ドックのスピリチュアルな友人ソルティレージュ。
彼女を演じるのはシンガーソングライターのジョアンナ・ニューサム、彼女はわたしがこの宇宙で最も愛する音楽家だったりする。

『Sapokanikan』のMVはPTAが監督を手がけた。
https://youtu.be/ky9Ro9pP2gc

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※1:1位は不動の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』。これを観てからタイトルはデカけりゃデカイほど良いのでは、と思うようになった。