OASIS

リトルプリンス 星の王子さまと私のOASISのネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著による名作小説「星の王子さま」を長編アニメーション作品として映画化。
監督は「カンフー・パンダ」等のマーク・オズボーン。

原作は既読。
というか、僅か1時間程度でサラッと読めてしまうし映画を観る前に気軽におさらいできてしまうのでできるだけ予習を推奨したい。
そして原作で一応オチが着いた切ない結末の、子供の頃思い描いていた未来を曇らせてしまうほど人間の悲哀溢れる「その先」を描いている為、更に奥深くまでその構造を理解する為には必須レベルであると思う。

映画の主人公である9才の「私」に、原作の主人公であり老人となったかつての青年が「星の王子様」との出会いを語り聞かせる前半と、私が冒険に飛び立つ後半とでは文字通り「世界の見え方」が様変わりする。
私の住む街を遥か天空から見下ろすオープニングから「世界から見た私」と「私から見た世界」とを強く意識させる作りで、映画の仕掛けを知る前と知った後ではまた全く違う見方が出来るなと感じさせてくれた。
「私」の住む世界の、カッチリカッチリと升目で区切られたような画一化された遠風景と、丸みが全く無く「カレ・ブラン」やジャック・タチの「プレイタイム」等を彷彿とさせるこれでもかと四方の尖った四角形が目に付く冷ややかな町並みが、そこが現代とも未来とも取れるように作られている。

そんな町で「人間は想像力に欠けている。毎日言われた事を繰り返すだけ」という原作にもある台詞のように、ただただスケジュール通りの生活を「人生設計」と称して母親に強制的に送らされる私。
「私」のキャラクターの造形が日本とも外国とも取れる無国籍感が漂っていたし、原作に全く登場しないオリジナルキャラクターではあるが「子供は大人に対して広い心を持ってあげなくてはいけない」という言葉や「大人は自分達だけでは何も分からないから、子供はいつも説明しなくてはならず嫌になる」という言葉を体現する役割を担っていて、原作に違和感無く溶け込んでいた。

老人から語られる昔話=星の王子様の物語では、紙で作られた王子やキツネがストップモーションアニメで描かれるのだが、このクオリティがどエライ事になっていて、小説の中の挿絵がそのまま動き出したかのようなリアルな質感でもってキャラクターが生き生きと動いていた。
王子のマフラーやキツネの尻尾の靡き具合は現実に砂漠に吹く風によってもたらされたものではないかと錯覚してしまう。
そして、小説の中でも僕が一番好きだった、王子様にキツネが「なついて」絆が生まれて行く過程や「本当に大切な事は目に見えないんだよ」という名台詞中の名台詞が語られるシーンは、その温かくて柔らかい質感のせいもあってか原作よりも泣けて泣けて仕方なかった。

ただ、原作の先を行く事がメインになっていて、原作3割オリジナル展開7割くらいの割合で描かれており、原作がとんでもないスピードで消化するが如く進められて行くという部分が性急に思えた。
王子が様々な小惑星を渡り歩くシーンや、青年・ヘビ・キツネ等とのやりとりがほぼ一瞬で過ぎ去って行くので、それぞれが有名な言葉を言わせる為だけに存在しているかのようなある種の軽さを感じてしまった。
キツネにも「大切な物は〜」以外に「ならわしとは、ある一日をほかの毎日とは違うものにする事。そして、あるひと時をほかの時間とは違うものにする事」や「そういう真理を人間は忘れてしまっているのかもしれない」といった印象深いものもあったりしたのだが「大切な物は〜」だけをフィーチャーされてしまうと何だか急にそれが浅く感じてしまうという。

原作の「その先」の部分がファンにはいまいち不評な模様だが、いくら不朽の名作であっても時代や文化の変遷によっていくらでも解釈は変わってしまう訳で。
あくまで現代版の解釈として、機械やゾンビのように無表情、無気力な人々が溢れるディストピア的な描き方が今の風潮を表しているのだろう。
子供向けのようでいて、含まれているテーマは小学生レベルだと難しいものがあるかもしれない。