Keiseihhh

アマデウスのKeiseihhhのレビュー・感想・評価

アマデウス(1984年製作の映画)
4.7
傑作。サリエリの屈服と屈辱そして敗北が描かれているが、この作品それに留まらない。その象徴的シーンが、モーツァルトとサリエリの手による、かの有名な「レクイエム」の共作シーンだろう。このシーンにおいてサリエリはモーツァルトの天才性を衝撃的に体感しながらも、その天才に一人の音楽家として迫り、同化する興奮、喜びを味わっている。また作品が完成に近づき同胞としての連帯も芽生えた朝方、憔悴しきったモーツァルトから「あなたに嫌われていると思っていた」「僕はバカだ」「許してくれ」と告解を受ける。ここで初めて、二人の生涯で唯一友情が成立し、サリエリはモーツァルトにただ一度だけ勝利する。だが彼(サリエリ)が手に入れたのは音楽家としてではなく、一人の人間としての勝利であった。これがラスト、引いてはこの映画の中心であるサリエリが晩年においても「私は凡庸なる者のチャンピオンだ」と語る理由となるのだろう。ちなみにサリエリ役のF・マーリー・エイブラハムはアカデミー賞主演男優賞の受賞スピーチで「本来なら私の隣に(モーツァルト役でノミネートもされていた)トム・ハルスもいるべきだった」という趣旨のコメントを残している。このことからも分かるようにこの映画は、一瞬のみにしか成立し得なかった二人の才気ある音楽家の絆を描いていると言っていいかもしれない。またこの映画において音楽監修をした、モーツァルトの第一人者でもあるネヴィル・マリナーにモーツァルトの性格が著しく改悪されているとの趣旨の抗議文が大量に送られたというエピソードは避けて通れないだろう。確かにこの映画、主演のサリエリを除けばモーツァルトを筆頭に皇帝ヨーゼフ二世やその側近たちがカリカチュアされていると言えばそうだろう。特にモーツァルトの戯画化振りは過剰に映る人もいるかもしれない。しかしこの映画はサリエリの回想である。物語の主軸を担う回想シーンにおいてサリエリの主観、やや偏った主観が入っているからだと解釈すれば納得も出来よう。その証拠に自らの全生涯をサリエリが語って聞かせる神父の造形は、ナチュラルで生々しい。この映画はサリエリのサリエリによるサリエリのために描かれた映画と言ってもいいかもしれない。ラストシーン、精神病棟の通路を車椅子を押されて進むサリエリ。このシーンとサリエリの最後のセリフは、映画史に暗く淀みながらも鈍い光を放ちつつ、輝いている。そう、この映画は僕も含むすべての「凡庸なる者たち」に捧げられた映画なのだ。ポイントは現在最高得点である4.7。紛れもない名作である。

添書き・またこの作品は神を捨て、信仰も捨てたサリエリが不信心な生活を送っている印象のするモーツァルトのみ神の恩寵を受け続けることにより、神への憎悪、敵愾心を膨らませモーツァルトを死へと追いやる作品でもある。この信仰の破棄はラスト、サリエリが精神病棟にいるという点で報いを受けている、とも言えるだろう。
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