ウーノ

アマデウスのウーノのネタバレレビュー・内容・結末

アマデウス(1984年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

(史実はよく知らないので映画の内容からの感想になります)

音楽に狂った狂人二人の話
秀才と天才の苦悩
如何なる人も、自分が求めているものが手に入るわけではない。王も庶民もそれは変わらず、誰かにとっては当たり前にあるもので、誰かにとっては欲しくても生涯手に入らない

モーツァルトは側から見てるのは楽しそうだけど絶対近くにいて欲しくないタイプ。高慢な割に繊細だから面倒くさい。よくお父さんと嫁から見捨てられなかったな。むしろさっさと見限られてた方が軌道修正きいてたのでは?
幼少期から発露した才能が生んだ環境からか、世間知らずの子どものような自信と頑固さで身持ちを崩したとしても、その音楽をきちんと理解して愛した人がたしかにいたと知ったことが落ちぶれた最期の救いになったように思える

サリエリが不憫といえば不憫。プライドも高いし自分が音楽でも人付き合いでも努力してる分、高慢ともいえる残酷な無邪気さのまま振る舞う上にやたら下品なモーツァルトが、自分が欲しくて堪らない天賦の才を当たり前に持ってることに我慢ならないだろうし神を呪いたくもなるのはわかる。私なら救い上げたわけじゃなくてコケにする為の負け犬用意したかっただけかふざけんなってなる
ただ、何かに情熱を注いだことが今までほぼない私にとってみれば、人格を厭って才能を妬んだからといって、あんな追い詰め方するあたり性格悪いし狂ったとしても自業自得感はある。天才への羨望と憎悪を理由に仕方ないではすまない。自分で愛した才能を自己愛故の嫉妬ですり潰したようなものなんだから、惨めな老後を送っていそうでも同情はできない。本当に音楽を愛しているのなら、追い詰められても神の愛した子を殺そうなんて思うはずがない。結局モーツァルトが落ちぶれたのはサリエリ云々以前にほぼモーツァルトの自滅だった気がするからサリエリが殺したは言い過ぎだと思うけども

最後のモーツァルトの赦してくれと、冒頭のサリエリの赦してくれが重なるのが悲しい。老いて狂って、その言葉がずっと忘れられなかったんじゃないかと。あの時、彼がすぐ死ぬと分かっていればああやって縋り付きたかったんだろうなと
ウーノ

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