生きるということ
いつの間にかリファレンスを参照することが、当たり前のようになっている。
標準程度に真面目で、平均程度に堅実に。
間違ってはいないし、どちらかというと共感と安堵を与え与えられている。
許容範囲内での不正行為は、目くじらをたてる方が野暮ったがられるくらいだ。
今の世代に受け継がれ、次の世代へと引き継いでいく「生き方の合格ライン」。
それはどれだけの過酷と諦めを強い、それに見合った幸せを提示できているのか。
憧れ、羨望、理想、目標
いつから目指すものを見つけ、いつから目指し始めたのか。
その「目指し」は、この生命の「生き残る」という大目標から、この体の持ち主の気をそらし意識させないために社会が編み出したブリンカー(遮眼帯)なのか。
窓ガラスを椅子でぶち破る。
常識、ルール、倫理、道徳、人間関係、世間体、そんな歳を重ねるごとにいつの間にか体にからみついた蜘蛛の糸を引き千切る。
その代償として、生まれ育った国から逃げ出すことになったとしても。
反対ホームにいた宮沢りえの姿が消え、自分のいるホームへの階段を降りてくる
時計のやり取り
宮沢りえの危ういほどの不安定さ
堕ちていく不安と怪しく輝く欲望の悦び
そんな素敵なシーンがいくつもある、良い映画だった。