emily

カラスの飼育のemilyのレビュー・感想・評価

カラスの飼育(1975年製作の映画)
5.0
マドリッド中心部の古い家にはイレネ、アナ、マイテの3姉妹と、職業軍人の父、半身不随の祖母、母を亡くしてからは母親代わりのお手伝いロザで暮らしている。父は女に目がなく、そのことで晩年は母親も苦しんでいた。そんな父も浮気相手と情事の末亡くなり、三人の教育係を買って出た伯母とは馬が合わない。伯母に叱られ、彼女に隠し持っていた毒薬を飲ませようとするが。。

モノクロとカラーの写真で思い出を綴るようにオープングは開けていく。臨場感のある写真とアップの写真の切り替えで立体感を演出している。

本作は時間軸が前後する前に、大人になったアナが、ナレーションでその頃の心情を語り回想に入っていくが、そこにアナの幻想、夢が回想の中の現実に交差し非常に複雑化された描写は、深みを与えてくれる。さらには大人のアナとアナの母親は、ジェラルディン・チャップリンの一人二役であるゆえ、複雑にさらに上塗りされるのは言うまでもない。

さらにはアナがグラスを洗い、新しいグラスの中に忍び込ませるシーンを何度か繰り返し見るのをはじめ、同じシーンを別の視点だったり、そこに幻想が加わったりして、アナの心情の描写に効果的に、観客を惑わしていくのも面白い。まるでサスペンスのような入りでどっぷりと世界観に浸かっていきながら、ヒューマンドラマに広がっていき、ラストには全く違うタッチで抜けていくのだ。

マドリードと田舎の対比も素晴らしく、閉鎖的に暗い部屋と鳴り響くクラクションに包まれる都会とでは、アナの心の窮屈感を飛び立つ妄想で見せる。一方、壮大な自然と鳥や自然の音に囲まれ、大きく空間を映し子供達が走り回る姿と笑い声が行き交う。田舎に向かう際の車の窓ガラスに空が映り、動くごとにクルクルと移り変わる景色とそれを見つめるアナの配置が絶品。

全編を通して生と死が引っ張っていくがあくまで子供目線の死の概念である。母親が「me quiero morir」と繰り返し言っていた記憶が、そのまま軽く口から溢れ、その意味も死を受け入れることもままならない、絶妙な心情の移り変わりをからりと、いたずらに描写する。大人から見たら「残酷」に映ることも9歳のアナにはいたずらの一つにしか思えてないだろう。

ジャネットの「porque te vas」が劇中で長い時間アナログなレコードから流れ、姉妹が化粧しダンスし、幻想的かつポップな子供達の世界の、小さな世界での幸せな時間を作り上げる。

アナの死への幻想と夢の処理もよく、子供の成長と順応の早さを余韻として残す。休みの間働いた悪知恵も学校が始まれば次第に日常が追い越し、その中でまた違う遊びを見つけ出すだろう。即座に順応して、その中でどうしょうもならない現状を子供なりに受け入れながら成長していく。愛情に愛情で答えてくれる訳ではない。大人の愛情が濁っているのなら、子供はその匂いを瞬時に察知する。見繕っても物を与えても純粋な子供には敵わないのだ。恐ろしく無知ゆえ残酷だが、どこまでも純粋なのだ。