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ソロモンの偽証 後篇・裁判のpriskyのレビュー・感想・評価

3.0
そもそも偽善者ってなんだろう。自分が善だと思って発言したことを、実際に行動に移さなければ「偽善」なのだろうか。私は、心から生まれた「善」の言葉は「善」だと思う。偽善は悪だというように思われているけれど、偽善と言われたくなくて、善である(もしくは善だと周りに思われる)発言や行動を慎むことこそ馬鹿げている。

無理矢理に発言を行動に移す必要もないと思う。

でも涼子は行動に移した。自分の善を偽善ではないと証明したかったのではないだろうか。神原も同じ。「偽善=悪」であるという通念に縛られ、偽善である自らの”罪”を晴らしたかった。彼らは、幼く、純粋であるから。

映画自体は、はじめから真相がうっすらと見えながらも、中学生たちが、どうやってそこまでたどり着くのだろうと、見守るような気持ちになるので、真相がどうこうというよりも、その経緯こそだ大事だと感じられた。なので、前後半の長編とはいえ、無理なく見ていられた。

しかし、柏木の死から始まる物語にも関わらず、柏木がなぜ死んだのか、わからないままだったため、物語として不完全な作品だと思えた。どうやって死んだのか、ではなく、どうして死んだのか。彼の「口だけの偽善者」という罵倒と試し行為は、彼が相手に対して何かを渇望していたからではないのか。それは友情だったのか愛情だったのか人間である証明だったのか。彼の心が知りたかった。
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