YasujiOshiba

ゼロの未来のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

ゼロの未来(2013年製作の映画)
-
シネマはムービーじゃない。クオリティーが高く、時間を忘れさせてくれる娯楽だけれど、終わってしまえばハイさようならというのがムービーだとすれば、シネマのほうは、説明もなく、脈絡もはっきりしないのに、そこに見えるものに引き込まれて何かを経験させてくれるもの。で、何を経験したのかと聞かれても、言葉に詰まってしまう。それがシネマ。

けれどもムービーがオゲレツで、シネマがオタカイものだなんて、ギリアムは思っちゃいない。どっちもどっち。シネマだってオゲレツだし、ムービーだってオタカクとまるこことがある。

いずれにせよ、ここでギリアムが撮ったみせてくれたのは、ムービー全盛で、シネマを撮ることがますます難しくなってゆく時代のシネマ。なにしろ、ギリアムはここで「無神論者にとっての人生の意味」みたいなものを問おうとしちゃうんだから、とてもじゃないけどそんな作品がムービーになるわけがない。だから、シネマなのだ。

それなのに、マット・デイモンやらティルダ・スワンソンやらムービーのスターたちが、嬉々としてスターであることを否定するような演技をしてくれるのだからたまらない。これぞシネマの醍醐味。もちろん主役の怪優クリストフ・ヴァルツだってシネマの怪優ぶりを発揮してくれているのだけれど...

ぼくとしてはやはり、あの『海の上のピアニスト』で見かけた少女との再会がシネマティックな経験だったかもしれない。メラニー・ティエリーのことだ。この見事な大人の色気とリアリティを身にまとった運命の女性には、ほんとうにびっくりしちゃった。ギリアムが最初に考えていたのは『テキサス・チェーンソー』(2003)のジェシカ・ビールだったみたい。じつはこの女優さんも好きなんだけど、やっぱりメラニーちゃんにはかなわない。少々タレぎみでヒラメみたいに離れた瞳には抗いがたい魅力がある。ほら、最近ではアン・ハサウェイ、ちょっと前ならマリリン・モンローとかそうじゃない。そのマリリンのような現実ばなれしたエロスを感じさせながら、はっきりとそこに息づいているリアリティを感じさせる女性。

そんなメラニー・ティエリーだからこそ、「無神論者の人生の意味」としてのゼロの定理を解く鍵となるわけなんだよな。それは彼女がそこにいるときには、決して解決するものではない。それって夕陽の美しさのように、沈むからこそ美しい。そういうことなんだろう。
YasujiOshiba

YasujiOshiba