このレビューはネタバレを含みます
本作の原題は「Enemy」
ポスターには、俯いて何か悩むような表情の主人公の頭の中に、蜘蛛や街のイラスト
ユング曰く、蜘蛛は縛り付ける女性の象徴、転じて、自らの生命力で人生を紡げというメッセージなんだそうです
以下、アンソニーとアダムは同一人物、別人格として話を進めます
全体を通してこの映画は「束縛された生活へ向かっていく覚悟」を描いているものと思います
そして、この映画では、蜘蛛と女性がテーマになっています
主人公にとって女性は二種類いて、性欲の対象である女性と、自分の人生を束縛する女性です
分かりやすいのは、冒頭に登場するストリッパー(娼婦なのかな?)=前者と、何度も何度も電話を掛けてきたりアンソニーの俳優行を否定する母親=後者
ストリッパーが女性的なヒールの靴で大きな蜘蛛を踏み潰すシーンは、束縛なんかされないで奔放に女むさぼりたいぜ!的なメンタルの象徴なのかもしれません
で、じゃあ妻はどっちなの?
って話です
妻は、恋愛して結婚してるはずですから、かつて前者だった女性です
ただ結婚となると、妻としての彼女は生活に食い込んでくる
束縛強めの母親とも仲がよさそうで、だんだんと後者の色が濃くなってきていました
個人的にはデキ婚なのではと思っていて、それまでは性欲の対象でしかなかった彼女は妻になり子供の母になり、アンソニーの人生を確実に束縛しにかかっています
それはもちろん妻が悪いのではなく、結婚はそういうものだからですが
そしてもうひとりの女性、メアリーの存在
アダムがあまり乗り気で無さそうに見えて毎日セックスしたりだとか、一方メアリーは積極的に誘うのに、終わるころにはいつも淡白で、さっさと出ていってしまったりだとか
情緒不安定なのかな?と思っていたけれど、メアリーは存在していない、アンソニーの中にある後ろめたい性欲の象徴なのだとしたら納得がいきます
これは終盤、メアリーを消し去ることになるシーンの直前に「やめて!指輪の跡がある!あなた誰なの!」「前からだよ」という会話で決定的になります
指輪は前からしていたはずなのです。それを妄想の中のメアリーが認識するかはすなわち、アンソニーが指輪(=結婚)に向き合うかどうかなのです
妻とアンソニーのスレ違い、アダムとしての優しさ
メアリーとアンソニーとのセックスと平行して、妻の前に現れるアダム
お腹を膨らませた妻と向き合うことは、つまり生まれてくる子供との向き合いです
最後に現れる巨大蜘蛛(妻の姿が変化したもの)は、これからの人生を「夫」であり「父」として束縛されて過ごすことへの不安がまだ拭いきれず、安易な性欲(セックスクラブ)へ向かおうとする衝動をきっかけとして現れたのだと思います