Nちゃん

アメリカン・スリープオーバーのNちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

3.3

このレビューはネタバレを含みます

新学期を目前に控えた夏の終わり、マギーはプールサイドで自分の夏の“物足りなさ”をなげき、もっと「楽しい“なにか”をするべきじゃないか」とぼやいていた。
翌日に街で開かれるパレードで、仲間たちとダンスを踊ることになっているマギーは、ダンス仲間からその日の夜開かれるスリープオーバー(お泊り会)に招待される。
しかしお泊り会を子供っぽく思ったマギーは、友達の家へ顔を出す前に、知り合いから教わった年上のパーティに乗り込むことにする。
そしてマギーはそのパーティで、昼間プールで見かけた年上の男と再会する。
一方その夜、街では他にもいくつかのスリープオーバーが同時に開かれていた。
その中で少年は一目惚れした女性を捜し、少女は友達の家で彼氏の浮気を知り、青年は恋した双子の少女に会いに行こうとする。
そして夜が更けるにつれ、それぞれのスリープオーバーが互いに影響しあい、やがて彼らは各々探していたものに手が届きそうになるのだが、、


いろんなティーンがそれぞれのスリープオーバーでいろんなことを経験し、ラストではみんながパレードに集結するっていう。

この作品もなんだけど、登場人物が多すぎて誰と誰が兄弟でとか、誰と誰がカップルでこの女の子は誰の彼氏でとか、いろんなスリープオーバーごとに登場人物が違うから追うのが大変なんだよな。
関係を思い出しているうちに話にのめり込めなくなる。

この映画もティーンもので、ティーンならではの思春期の頃に感じる淡い恋心とか少しでも周りのティーンと差をつけたいとかキスに焦る気持ちとか好きって気持ちを大事にしたいとか、繊細な気持ちを表すのがすごい上手だなって思った。

でもこういうティーン映画の感想ってこんな感じにしかならないよねって最近思った。結局どれも似たようなことを言っているのだけど、今作は大人が一切出てこなく、それこそティーンの気持ち尊重感が良かった。そして画面がずっとモヤのような薄いトーンで統一されているのも良かった。ティーン世代が感じるモヤモヤ感とマッチしているようだった。

スリープオーバーを通して、だからティーンたちはスリープオーバーから何を感じてどうなっていくのかがイマイチ読み取れなかったのでこの点数。
あとキラキラ目立つ存在の生徒もダサ感を抑えきれてなかった。陰キャラの集まりみたいだった。(批判かいそう)
Nちゃん

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