そーた

殺人カメラのそーたのレビュー・感想・評価

殺人カメラ(1952年製作の映画)
3.5
3度考えてから

カメラは趣味でいじるけど、
被写体をどう切り取るかで悩みだしちゃうとダメなもんです。

あれこれ試してみたものの、
よく分からなくなって最初に撮ったのが結局一番良いということがある。

でも裏を返せばそれだけ被写体の持つ色んな側面があるということ。

写真の出来不出来がカメラアングルに依存するように、
人の善し悪しも見方次第で変わりうるんじゃないか。

そんなことを言いたげなこの作品。

聖アンドレアなる謎の老人から授かった人を死に至らしめる撮影術を駆使し、
当然と貧富格差が根付く田舎の漁村に正義をもたらすべく骨を折る写真屋が奮闘する様を描いたイタリア喜劇。

小柄な写真屋チェレスチノがちょこまかと動き回るコミカルなタッチが、
秘術のもつ呪術性をオブラートのように包み込む。

ロベルト・ロッセリーニの代表作である『無防備都市』のようなシリアスさは息を潜め、
スケール感を異にして貧富という別テーマのレアリズムを喜劇を用いて炙り出してみせる所にロッセリーニの手腕が光る。

僕が面白いと感じたのは、
まがまがしくも滑稽な、
殺人カメラのメカニズム。

天誅を下す対象の写真をさらにカメラで撮影するというその術のまどろっこしさが何とも示唆に富んでいる。

写真を撮られた者は写真の中のポーズのまま固まってしまう。

それが、一つの見方に凝り固まって、
人を悪人だと決めつけてしまう僕たちのよろしくない癖を暗示しているようでいて非常におもしろい。

「罰を下す前に3度考えろ。」
物語を締めくくるこの言葉。

懲らしめられた人々は悪人なのかもしれないけれど、
禁忌を犯してしまう前に多角的な視点で物事を見るべきだという戒めが込められているようで深い。

そうは言っても、
やはり貧富格差はなくならない。

果たして、権力や貧富とは必要悪なのか。

オチのゆるいほんわかさの裏に隠された問題提起は、
シニカルなコメディーだからこそ、
鋭利なんだろうな。

現代とはいささか異なった視点を体感できるところに古典作品の素晴らしさがある。

うん、いろんな視点があっていいんだよな。

よしよし。
カメラを撮る際、いつもに増して大いに悩もうと思います。
そーた

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